かくこと、ねること
かくこと、ねること
書くことと、寝ることは結構似ているなと思った。
文章を書き始めるとき、僕は大抵、音楽あるいはラジオをかけている。基本、音楽を流している環境なので、そのままの流れである。 しかし、書き始めた途端、イヤホンをぶっこぬいて、音楽を止めてしまう。なんだか、煩わしいのだ。文章が書けなくなるのだ。 結局、文章を書こうと思ったとき、僕は文章を書く以外のことができなくなる。
そんな自分を個人的にはそれなりに高く評価している。考える対象がフォーカスされた状態で、それが軽度の瞑想状態に近いものを感じるから。僕らが生きてる間に体験する強い瞑想状態の局地こそ睡眠であろうから、その点で書くことと睡眠が似ていると思うのだ。
※これは自論だが、人は考える生き物で、生きてる以上、例え眠っている状態であったとしても、何も考えないこと・感じないことは不可能だと思っている。強いてできることとしたら、考えることを狭めること、感じる範囲を狭めること、であって、「意識を置く範囲の狭さ」こそが瞑想状態を測る物差しである、と個人的には考えている。
というか、そもそもなぜ、書くことと寝ることを僕が結びつけたのか。 それは、「本を読むことは、私にとってある種の睡眠だ」みたいな言葉を目にしたから。この言葉に付随するキャプションはあまり読んでいないから、それがどんなロジックかは覚えていないが、僕は僕なりの方法で、自分に書くこともまた、睡眠と似たものがあるなと思ったのだ。
さて。寝ることと、書くこと、読むこと。 どれも僕の大好きな時間。
というか、どれも僕にとって、音楽やラジオのような「ながら」が鬱陶しくなるものだ。寝るときは、寝る以外のことができず、他のことにも全く同じことが言える。
はて、そうなると、僕の中でこんな仮説が持ち上がる。 要は、フォーカスされたメンタル状態こそが、人を気持ち良くさせるのでは?ということだ。
僕の中で一瞬、マインドフルネス、というワードがよぎった。 ちょっと前に流行ったけれど、あれってこういうことだったのかもしれない。
ちなみに、僕は「価値あるものは気持ち良い」と信じている。 これの逆がまた成り立つかはわからないけれど、寝ることや書くことや読むことが自分にとって価値ある時間を過ごしていると信じたい。気持ちの良い時間で、24時間を埋めたい。
じゃあ、そうしようぜ、という話なのであるが。
実はもう、既に似たようなことをやり始めていたのかもしれない、と気づいた。
これは全然違う話。 ちょっと前に、上司からの勧めで、マルチタスクからシングルタスクへの切り替えをしようとしていたのだ。
もちろん完全には難しい。同時にいくつかのタスクが走ってると、どうしたってマルチにならざるを得ないことはあるが、それでも「この15分はこれをここまでやる」というようなスプリント的な考えを持ち込むことで自分を気持ち良く走らせることができることを、本当にちょっと前に、知ったばかりだったのだ。
ただ、これもまたある種の「瞑想」っぽさを感じる。 仕事も、寝ることも、書くことも、選択と集中だ。
・・・
…、ちょ待てよ。そうなると、詰まるところ、一番気持ち良い時間の過ごし方は、24時間瞑想すること?つまり、死ぬこと? 生きた人間にだけ、必ず誰しも味わえる、死の気持ちよさ。なんてキザな言葉が思いついたが、僕はまだ死にません。
この現世を極力気持ち良く過ごしたい。 だからこそ、シングルタスクに努めようと思った。 上司の言ってることが正しいと、改めて思い直す。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n23d2bde21fe9 公開日: 2023-12-14 18:00
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