ことばのたねをまくゆめのにわ

ことばのたねをまくゆめのにわ

ことばのたねをまく ゆめのにわ

むかしむかし、ふしぎの森のはずれに小さな村がありました。 その村に住む女の子モモは、とても静かな子でした。

モモは考えることが大好きでした。 けれど、思ったことを言葉にするのが苦手でした。

「おはよう」と言いたいときも、 「おは…」と言いかけて、口をつぐんでしまいます。

「きれいな花だね」と伝えたいときも、 「き…」と言いかけて、うつむいてしまいます。

村の人たちは言いました。 「モモは物静かないい子ね」 「モモはいつも考えているのね」

でもモモの心の中は、言葉でいっぱいでした。 伝えたい言葉が、胸の中で小さな種のようにころころと転がっていました。

ある日、モモは森の奥で不思議なおじいさんに出会いました。 おじいさんは輝く目をして、ニコニコしていました。

「こんにちは、モモさん」 おじいさんは優しく微笑みました。

モモは驚きました。森の奥で会ったのに、どうして自分の名前を知っているのでしょう?

「わたしの名前を、どうして…」 モモは久しぶりに言葉を口にしました。

「ふふふ、わたしはことばのにわし。人の心に咲く言葉の花を育てているんだよ」 おじいさんは小さな袋をモモに渡しました。

「これは何ですか?」モモは小さな声で聞きました。

「それはことばのたね。あなたの大切な言葉を育ててごらん」

モモは不思議な袋を持って家に帰りました。 袋の中には小さな種が入っていました。 種はキラキラと光って、七色に輝いていました。

モモは庭の片隅に小さな穴を掘り、一粒の種をそっと埋めました。 そして小さな声でつぶやきました。

「おはよう」

次の朝、モモが庭に出てみると、 種を埋めた場所から小さな芽が出ていました。 芽は優しく揺れて、モモに挨拶しているようでした。

モモはうれしくなって、もう一粒の種を埋めました。 そしてつぶやきました。

「きれいな花だね」

すると、最初の芽の隣に新しい芽が出てきました。 二つの芽は風に揺れて、まるで会話をしているようでした。

日が経つにつれて、モモは少しずつ種をまいていきました。 そのたびに、自分の言いたかった言葉をつぶやきました。

「ありがとう」 「だいすき」 「悲しいよ」 「うれしい」 「助けて」 「一緒にあそぼう」

言葉の庭はだんだん大きくなっていきました。 芽は伸びて、つぼみをつけ、やがて色とりどりの花を咲かせました。

村の子どもたちは、モモの不思議な庭に気づきました。 「わあ、きれいな花だね。なんていう名前?」

モモは少し緊張しましたが、自分の庭の花を見て勇気が湧いてきました。 「これは…ことばの花なんだ」

子どもたちは目を丸くしました。 「ことばの花?」

モモは頷きました。 「うん。わたしの言葉から生まれた花なんだよ」

子どもたちは興味津々でした。 「わたしたちにも見せて!」

モモは子どもたちを庭に招き入れました。 一人ひとりに種を渡し、自分の大切な言葉をささやいてもらいました。

子どもたちの種からも、次々と芽が出て、花が咲きました。 庭はもっと広く、もっとカラフルになりました。

やがて、モモの庭は「ゆめのにわ」と呼ばれるようになりました。 村中の人が訪れて、自分の言葉の種をまくようになりました。

ある日、おじいさんが再びモモの前に現れました。 「すてきな庭になったね」

モモはにっこり笑いました。もう言葉を話すのが怖くありませんでした。 「みんなの言葉があつまったにわです」

おじいさんは穏やかに微笑みました。 「言葉は種のようなもの。心に埋まったままでは花は咲かないんだよ。でも、勇気を出して口に出せば、こんなにきれいな花が咲くんだね」

それから村では不思議なことが起こるようになりました。 人々は自分の思いを伝えるようになり、お互いの言葉に耳を傾けるようになりました。 誤解は少なくなり、理解は深まりました。

モモはことばの庭師として、これからも新しい言葉の種をまき続けることにしました。

今日も「ゆめのにわ」では、新しい言葉の花が咲いています。 あなたの言葉も、きっとどこかで花を咲かせているでしょう。

モモは今日も種をまきながら、小さくつぶやきます。 「あなたの言葉を、聞かせてください」

おわり

あとがき

AIの時代は、むしろ「言語化すること」が重要だ。確かに、AIの到来は、話さずとも伝わる世界線に向かおうとしているように思える。AIがリソースを持つ人間とそのリソースを求めている人間の間に立つことによって、そして、AIがその人間の言葉にならない領域までを理解する(いわゆる空気を読む)ようになるから。人はクエリを検索バーに叩き込むことなく、もっと感覚的な検索を求めるようになる。ただし、僕は思う。言葉になりきらない部分をAIが汲んでくれるようになるからこそ、言語化できる部分まではしておく努力が必要だということを。楠木建さんの著書『ストーリーとしての競争戦略』の冒頭にも似たような論理が展開されている。非論理が占める経営だからこそ、どこまでが論理領域かを確認する上でも、論理で考え抜くことは重要だ、と。例えばプロダクト開発において、顕在ニーズ、潜在ニーズという言い方をしたりするが、潜在ニーズをAIは読み取るのが非常に上手なのだと思う。顕在しているニーズは、直接リソースを持つところから手に入れれば良い。潜在ニーズはAIに聞けば良い。その意味でただのアグリゲーターは極めて厳しい位置に立たされることになるだろう。さて、言語化の話に戻るが、もっと人間は本を読んだ方がいい。そして言葉を覚えた方が良い。こうして言葉をもっと上手に使いこなすべきだ。その理由の1つとして、ある実験をしてみた。AIに下記の4つの質問(①〜④)をぶつけてみる。①そこはかとなく、「好きだ」と伝える表現を考えてみて。②さりげなく、「好きだ」と伝える表現を考えてみて。③仄かに、「好きだ」と伝える表現を考えてみて。④ほのかに、「好きだ」と伝える表現を考えてみて。するとAIは、この微妙な言葉のニュアンスを嗅ぎ取ってくる。実際にAIから得た回答も、それぞれのプロンプトによって違う”感じ”になっていることが確認できた。AIがどうこれらの言葉の違いを理解しているかはわからない。しかし、人間は人間なりのアプローチで、その言葉の感じをたっぷり味わっておくことで、微妙な味のニュアンスの差を言葉として表現できるようになるだろう。それはAIとのよりよい関係構築を図っていく上で非常に重要なこと。そしてそれは人間に対しても完全に同様。かれこれ700記事分、僕は「誰か」や「何か」について解説記事なるものを書くことはほぼなく、徹底して僕のことを言葉にしてきた。芽がでることがあるとするならば、それは間違いなく今だろう。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/nea60ceef4f36 公開日: 2025-03-29 10:34

This line appears after every note.

Notes mentioning this note

There are no notes linking to this note.


Here are all the notes in this garden, along with their links, visualized as a graph.