それが何か、ではなく、どう思うかを徹底して書きたいのです。
それが何か、ではなく、どう思うかを徹底して書きたいのです。
noteの記事を振り返った。 血反吐が出るくらい僕の嫌いな文章がたくさんあった。 アカウントをやり直したいくらい。
ただ、これは向き合わねばならないこと。
以前、僕の文章は下手だ、的な話をした。 しかし、それは僕の嫌いな文章のド真ん中の原因ではない。 そもそも、大切なことは文章が上手か下手か、ではなく、それが人に伝わるかどうか。 文章が下手だからって、確かに読みにくいコトはあっても、伝わらないと言い切れるわけではない。 それに、書き続けていれば、あるいは、他の人の文章を勉強すれば、少しずつでも上手くなっていくとは思う。
僕が嫌いな文章は大きく2つ。 ①それが何か、を書いている文章 ②どう思うか、が薄い文章
https://note.com/tsukasa_ichinose/m/m9427bf6d581d
① 例えば、「科学だって所詮宗教である。だから….」 こういう類の言葉/言い回しが僕は嫌いです。
この場合、「科学だって所詮宗教である。」、という言説を唱えた人が別でいて、それに共感?して、因果を汲む際の原因に使用している形になります。 では、この言説は果たして本当なのでしょうか? 議論の余地なく、科学は宗教なのでしょうか? その辺りの、「なぜ科学は宗教と言えるのか?」に対する自分なりの落とし込みがないままに僕は話したくないのです。
Factとして語るなら、Factでなければなりません。 人が言っていたこと、例えば「科学だって所詮宗教である」という言説を誰かから聞いて、もしそれを使うだけなのであれば、ソースを確認せずにネットニュースのタイトルだけを見て、一定の判断を下している行為と何ら変わりがありません。 そんな僕が心の奥底から軽蔑するような行為を、自らやっている様な場面に直面すると、ゾッとするのです。
そもそも説明系な文章を書くなら、極めて慎重になるべきです。 本に書いてあることを書くだけなら、時間の無駄です。写経じゃあるまいし。
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② 僕は、徹底して「自分がどう思うか」を書いていたいんですよ。 それだけが僕だけが書ける文章だと思うからです。
・こんなことがありました(自分の体験) ・こう思いました(自分が思ったこと) ・だからこうしました(自分の体験)
こんな風に、自分が自分で獲得したことだけで話をしたいのです。
「ピアノってそこがむずいんだよね」とピアノをやったことがない人がいうのは、誰かが難しいと言っていたのを聞いて発言しているわけですよね。 こういうのは、僕は非常に恥ずかしいことだと思う。 見たことない景色、感じたことない感情、やったことない体験、についてこの歳で語るのはもうやめたいと思うのです。
本田圭佑さんが「願えば叶う」というのは、本田圭佑さんのなかで大量に蓄積された経験が、その言葉になっているのであって、 だから、「願えば叶うんだ」と言葉だけを引っ張って僕が皆様にお伝えするのは、セミの抜け殻を見せているようなものです。 ここまでの話を踏まえると「何者でもないくせに何事も語るな」、的な非常に極端な結論に至ってしまうのですが、少なくとも現時点、自分に対してだけはその心持ちでいたいと思っています。
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最後に、②に関してなんですが、この「どう思うか」の部分がまぁ極めて浅いというか、弱いというか、何も考えられてない感がぷんぷんするのが嫌いで。
それが自分の文章から非常に強く臭ってくるのです。
どう思うか、が言えない人、書けない人は僕は嫌い。 けれど、どう思うかが薄くて弱い人はもっと嫌い。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/nd4697411faea 公開日: 2022-09-01 17:00
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