それでいくら儲かるの?という視点の重要性
それでいくら儲かるの?という視点の重要性
敢えて、逆に重要である。
言葉遊びが好きなサラリーマンを見ていると、それでいくら儲かるの?と思う。重要じゃないと言いたいわけではない。ただ、見落とし過ぎる人を見かけることが多い。自分を含めて。
これはあらゆる世界に言えると思う。
陸上選手なら「それでタイムは上がるの?」
お笑い芸人なら「それで客は盛り上がるの?」
みたいに。
儲かること以外に重要なことがあるのは承知している。だからといって儲かることが重要でないことを否定することもできない。
まぁ、好きにしたら良いという案件ではあるのだけれど、少し見過ごせないのが、「定義」というものへの信用度の高さである。定義をまるで神のように盲目的に信奉している人間を見ると、僕は少し引いてしまうのだ。たかが定義だと思ってしまっている自分もいるから。
note投稿を初めてはや500記事。言葉を書いてきて、その有用性や脆さをほんの少しばかり感じられるようになった気もする。そんな自分が文章を書いていてよく思うのが、言葉はあまりにも不明瞭であるということ。
どうしたって含みを持つのだ。決して、言葉の意味同士がmeceのごとく、綺麗な役割分断を担ってるわけでは全く持ってないのである。特に抽象概念としての言葉であるほど、その切り分けは実に曖昧である。
抽象概念としての言葉を安易に、確定性の高い具体の言葉の羅列に置き換える行為もまた、教養にかけているように感じると思う瞬間がある。安易な理解として、ニアリーイコールとしてのニュアンスを掴むことはできても、それでは決してイコールではなく、結論、それはそれでしかないという以外なかったりする。この話が理解できないと、虚数を理解するのは難しいのではないだろうか。
ダラダラと書いてきたが、浅い言葉遊びをクダラナイと思うのであって、従って、「それで儲かるの?」と一言吐いてみたくなってしまうのだ。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n7faaa5db2334 公開日: 2024-02-08 18:00
This line appears after every note.
Notes mentioning this note
There are no notes linking to this note.