どんなに重たくても構わないから。
どんなに重たくても構わないから。
「カット!」がかかった瞬間、ほんのついさっきまで感情を爆発させていたはずの役者さんが、ケロッとした素振りで「あざしたー」とか言いながらはけていく様子を見ると、少しモヤモヤした気分になる。
理由の1つとして「僕にはそれができないから」と思ってしまう部分もないわけじゃないのかもしれない。だって、たまにびっくりするくらい、ケロッと平静に戻る人いませんか?多少、わざとやってるんだろう、なんて思ってしまうくらい、超人的な切り替えである。
本当にわざと意図的にやっているのであれば、それはそれで、美学やこだわりがあるのだろうと思うし、尊重する。が、僕には、あの切り替えができないと思う。例えば、本気で悲しんで泣くような芝居の直後、カットがかかってもなお、しばらく僕は泣いているんだろうと思う。
先ほど、美学の話が出たが、僕にも美学はある。この美学の差異こそが、モヤモヤしている原因であろう。僕にはあの超人的な切り替えができないが、それで良いと思っているのだ。
というか、むしろその自分が好きなのかもしれない。
強い後悔と反省と、そして「今は違う」ということを前もって、強調させていただいた上で話すが、若い頃、自分のタガを外して自分の許容量を遥かに超えたお酒を飲んでいたことがある。このスイッチが入ると、自分のなかで酒は酒ではなくなる。何か小さな矢のような、殺傷性を孕んだ武器に変化する。そして、戦場に成り変わった飲みの場に、「死なば諸共」といわんばかりの覚悟で臨み、煽られた酒を全て飲み干すことに本気になっていた。全ての矢を受け止めてなお生きている、という不名誉に自分の矜持を持っていたのだろう。
改めて強調するが、お酒の飲み過ぎは良くない。絶対に、良くない。
一方で、これは今でもたまに本気で思うことだが、「愛なんてどれだけ受け取ったって足りないだろう」と思うことがある。例えば、以前、友達の彼女が、友達に「会いたい」と連絡してきたときのエピソード。友達は眠いのか疲れたのか、「明日月曜で朝早いから」みたいな理由をつけて会わない選択をしていたのを見て、信じられなかった。お前は本当に好きなのか?死んだ後にいくらだって寝れるんだぞ。
これは「会ってあげろよ」と言いたいわけじゃない。
会いたく無いのか?と思うのだ。
そこに見る、自分のなかに沸(たぎ)るものの熱さを僕は問うているのだ。
別に、「カット」の後にケロッとしていたっていい。
逆に、どんなに重たくても構わない。
大事なことは、本気でいて欲しいということ。僕もそうでありたい。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n840bce4ad5f9 公開日: 2023-10-04 18:00
This line appears after every note.
Notes mentioning this note
There are no notes linking to this note.