なぜ数学の先生は必要か

なぜ数学の先生は必要か

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集団塾の講師として数学を教えていた頃をたまに思い出す。 今振り返ると、本当に楽しかった。 夜遅くまで授業したあとに、後輩講師と夜通しでお酒を飲みながら語り明かす。 数学の入試問題の教え方や、数学の知見を深めあったり、他教科の先生とも指導論について共有する。今思えば、みんな非常に熱かった。あんな真剣に仕事に向き合っている人は社会人でもそんなにいないと本気で思う。

一方で、先生と教え子を取り囲む環境は、コロナの煽りを受けたり、ITの流れが押し寄せてきたりと、大きく変わってきている。

それでも、僕は「数学の先生」というものの価値が薄れたとはこれっぽっちも思わない。 これは「数学の先生」という価値についてもう一度考え直すいい機会と捉えるべき。

なぜ、フィールズ賞を受賞した東大だか京大だかの名誉教授が全学年分のカリキュラムを教えた動画を配布するのではなく、「数学の先生」という立場が必要なのか。 少しポジショントークかもしれないが、数学の先生の価値について、個人的な見解をまとめておきたい。

■ 今日聴いた曲 「マイルス・デイヴィス / Birth Of The Cool」

https://open.spotify.com/album/0QWea2w5Y6pSoSWHuc7JMf?si=0Bot9_61Se2F56WEVy7B8g

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数学とは何か

数学という世界がどう広がっているのか、という僕の認識について、他のジャンルにおける広がり方を例に説明してみたい。

「拳で語り合う」という世界観がボクシングにはあるらしい。 これは互いがタイマンで向き合って、殴り合うことで、今まで積み上げてきた練習や、その人のメンタル状況、あるいは、こちらに寄せてくる熱い思いを体感的に感じることができる、というような意味だと思う。 ただ、ここで使用されている”拳”というのは、「対貴方」というP2Pでのみ使用され得る極めて限定的なコミュニケーションツールとなる。 貴方としかコミュニケーション取れないツールではあるのだけれど、殴り合っている当人たちは、”言語”というツールを使うよりも、遥かに解像度の高い豊富な情報量のやり取りが繰り広げられているのでしょう。

ここは一長一短で、”拳”に対して“言語”は、多くの方に届けることができる特徴を持っている。 だから、会ったことがない人にも情報を届けることができる。 その意味で、政治は言葉なんだと思う。

そんな感じで、世界には”言語”以外に様々なコミュニケーションツールがあると思うのです。 コミュニケーションツールがあって、人がそれを使ってコミュニケーションを取る。 このことから、コミュニケーションが行われる「場」のようなものを認めることができて、それはもう、別の世界が存在すると言っていいと思うのです。

クイーンズギャンビットを見ても、彼女らはチェスで対話をしていた。 言葉で語るよりも確実で早いのでしょう。 そんな感じで数学もまた一つの世界のような広がりを持っていると思うのです。

## 人はアナロジーでしか理解できない

英語は英語の世界があって、日本語には日本語の世界がある。 直訳が成立しないのはそのせい。 言語、と抽象化したときに同じグルーピングをされてしまうから似たようなメカニズムと捉えられがちなだけで、本当はサッカーと野球くらい違うのです。

つまり、英語の学習を日本語で行うというのは、サッカーを野球で教わっているようなもので。 「野球で足をつかっちゃいけないように、サッカーでは手をつかっちゃいけないんです」 「なるほどなるほど」 みたいな教わり方をしているようなものだと思うのです。

ここで、英語の世界と日本語の世界をつなぐのが「アナロジー」的な発想。 なぞらえる、ことでしか新しい世界を理解できないと僕は思うのです。 それくらい違う世界だと認識した方がいいと思うのです。

子供の持つリソースで上手にアナロジーさせる

数学の先生の価値はここにあると思います。 生徒が既に備えている世界、それをお借りして、「じゃあ数学という世界をこう見ることができるかもしれないね」とアテンドしてあげるのです。 ここで、生徒の納得「なるほど、”そう言う感じか”!!」となるわけです。

この既にある世界からの離陸、そして新しい世界への着陸、ここのアテンドは、ある種特殊な専門職だと思っています。編集者的というか。

最終的に、彼らは「数学的に」数学のことを考えられるようになっているでしょう。 そしたら先生は正直不要だと思います。

あくまでも、上の階に登る梯子に過ぎず、登ったらその梯子はいらないのです。 確かに、数学の先生が「いずれ捨てられる梯子」的な存在であるのは確かだと思います。 それでも、その梯子はめちゃくちゃ重要だと思う、って話。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n3526bd801ef0 公開日: 2022-05-02 17:00

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