ひろゆきさんのやり方に違和感を感じることはあるが、いざ対面でお話ししたら言いくるめられてしまうんだろうな、という話
ひろゆきさんのやり方に違和感を感じることはあるが、いざ対面でお話ししたら言いくるめられてしまうんだろうな、という話
ひろゆきさんを見ていると、彼のやり口に違和感を覚えることが少なくないです。 ただ、じゃあ僕がリングに上がって彼と何かしらの話をするとして、きっと僕は彼に言いくるめられてしまうんだろうな、って話。
https://note.com/tsukasa_ichinose/m/m9427bf6d581d
彼に口を出せる人間はいても、彼を言い負かせる人間は少ないでしょうね。 口を出すことと、自分が彼を言いくるめられるかどうかは別の話。 リングの外から観客として話すか、リングの上で彼と対峙するかという意味で、自分のスタンスが違うから。
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僕は昔剣道をやっていました。 やり方が汚い剣士と戦ったこともあります。 その人は、横から面を打ったり下から小手を打ったり。 それについて、「汚い剣風だ、剣道じゃない」と自分が説明できることと、 自分が所謂「正しい剣道」でその人を打ち負かせるかという話は全くもって違うのです。 現に、たくさんそんな人に負けを決してきました。
ここで言いたいのは、 まずこれらが「別の話だ」ということ。
2つの話を変にマージさせて「できないのに口を出すな」論を展開したいわけでもない。 できないのに口を出すな、というのが通ってしまう社会は少し窮屈に感じます。 みんなの得意を持ち寄って分業で回しているはずの社会ですから、できないことには意図があるわけで、それを無視するような行為は余りにも冷酷なのかなと。 寿司が握れなくても、寿司の旨いまずい、こうした方が良いんじゃないの、は多少言えた方が良いんじゃないかなと。
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そこでもう一つ言いたいこと。 結局、口を出すかどうかの判断軸は、その人がどう生きたいか、に関わってくるということです。
だから、芸人を面白くないとか、その芸人の笑いについて分析じみたことをしている人間は、別に面白くなくたって良いのです。
だって考えてみれば、その分析じみたことをしている人の実入りはゼロじゃないですか。強いて言えば「自分を承認できる気分」「何か達成できた気分」くらいのもので。 その人自身の生産はゼロだけど、それがしたいならしていれば良いと思うのです。
だから、リングに立っている人は、その声を聞く必要はそもそもないし、聞きたいならありがたがって聴けば良いのです。
つまるところ、どうでも良いのです。
ただ、ここに「バズ」とか「大衆」っていう概念を持ち込んでくると、どうでも良くなくなってくる。 本質を必ずしも照らさないバズや大衆について、くだらないと一蹴するのは良くない。だって敵にすれば人が死ぬし、味方にすると自身の生産性が爆裂に上がるから。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n463c83d0b2f7 公開日: 2022-10-10 17:00
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