【アンチ筋トレ】問題は筋肉があるかどうかではないのだ。

【アンチ筋トレ】問題は筋肉があるかどうかではないのだ。

外見探究。

GPT昨日、お食事の席に招いてもらった。

襟付きのシャツの方が良かったか?と思うような門構えのお蕎麦屋さんだった。

ただ、中に入ってみると、意外とこざっぱりしているというか。装飾がやけに華美な感じということはなくて、それが逆に、このお店を名門たらしめている所以かと思わせるような雰囲気を纏っていた。

8名でのお食事会。

ビールで乾杯をした後、まずは色々とおつまみを頼む。

おつまみをつまみながら、蕎麦焼酎の蕎麦湯割りをいただいた。

蕎麦で作った焼酎をグラスに注ぎ、蕎麦湯で割る飲み物なのだが、これがまぁ絶品だった。次々に焼酎のボトルを頼んでは空けてしまい、最後食べた蕎麦の味、正直そこまでよくわからなかった。美味しかったけれど。次回は、お酒を飲まずにそばを食べに行きたいと思った。

そんな酒の席で、ふと向かいに座っている男性の腕が目に入った。

シャツを捲っている部分、ひじから先が結構立派な腕をしていらっしゃった。

トレーニングをしているのか。

結構腕も使うお仕事をしているのか。

そうでもしなければ、この逞しい腕には絶対にならない。

手から肘、そしてその先を辿ってみると、二の腕とかも結構ありそうだ。

胸筋とかもしっかりしている。なるほど、この方は結構なマッチョだ。

少し話は変わるが、最近、妙な感覚を覚えるのだ。

例えば、小学校中学校の頃、運動のできるできないの差は明らかに存在していた。

スクールカーストとは別で、一定の序列、ピラミッドのようなものが存在していた。

選抜リレーに選ばれる人、選ばれない人、のように。

あんな感じのピラミッドが大人になると大きく変わってくる。

小中の頃、運動で全くもって目立ってなかったような人が、筋トレして、ボディービルダーみたいになっていたり。

逆に、運動でキラキラしていたような人が、今になってお腹をずいぶんと肥やしている人間になっていたり。

これはどういうことなのだろうと、ふと疑問になる。

そして、かっこいいというのはどういうことなのか、自分は何を目指したいのか、考えることがある。

なんか違う、と思う感覚は僕だけだろうか。

大人になってから運動や筋トレを始めた人と、昔から運動習慣があった人の違い。

結果的に筋肉量が変わらなかったとしても、なんかパッと見たときに違う。

やはりクリスティアーノ・ロナウドの体はかっこいい。

ただ、同じくらい、いやそれ以上に筋肉を蓄えている人間もいて、ただなんか違うのだ。スピード感というか、なんというか。

要は、ただ筋肉だけあれば良い、ということでは絶対にないのだ。

いわゆる「大人になってから筋トレが好きになった人」と、「サッカー選手」には根本的に何かが違う感じがするのだ。

そこはかとなく、身体能力の高さを思わせる感じが違うというか。

だから、僕はHIITをやったりして、酸素を渇望するような苦しみを味わったりしている。筋肉しかない人って、すぐ息が上がるので、そうならないようにしたいと思っていたりするのだ。

効率性と生産性のサイクルに最初から上手に乗せたくなかったりする。朝EAA、プロテインを何時間おきに、鶏胸肉をナングラム、この薬を飲む、とか。行き着く先でそういうことをやってもいいのかもしれないが、まだ賢くやりたくないと思ってる自分がどこかにいる。筋肉しかない人って、パンパンに筋肉を美味しく太らせているフォアグラみたいに見えて気持ち悪いときがあるのだ。もっと、多少の渇望を感じているくらいの筋肉の方がカッコいい。

そんなこんなで、ただ筋肉を増やすのではなく、何か本質的に良い方向に向かうような何かをしたいと思っているのだが。この今抱えている違和感は、僕の中では大事にしている。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n54ddbb8111e4 公開日: 2024-02-20 18:00

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