カマシワシントンとLaufey
カマシワシントンとLaufey
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音楽を聴いて、自分がどう思うか書くことはすごく難しい。実際に言葉にしてみると途端に単調になり、ありきたりで、呆気なくなってしまう。
もちろん音楽は悪くない。僕の表現が拙いだけ。もっと言葉にできない領域に目をむけることが必要だ。というか、そもそも文章を書くとはそういうことだから。微細な感情の揺れを自覚して掬い上げて見つめること(だと思う)。どことなく、瞑想に似ている気もする。
今からかくものは決して批評のようなものではない。決して一般に敷衍するようなこともしたくない。極めて個人的な印象を、有料公開部分でひっそりと書き残しておくだけのものだ。
『Change of the Guard』/The Epicより
まず浮かんできたのは、『Love supurime』だった。スピリチュアルな波に乗ってバリバリサックスを吹いていると、一瞬、ジョンコルトレーンがやりたかったことを、(より多様な表現が技術的にできる現代で)実現した感じなのかなと思う。しかし、カマシワシントンのサックスにコルトレーンのような「信仰色」はみられない。
例えるならば、大きな風が吹き荒れるなかで、その風と一体になることを望んでいるコルトレーンに対して、カマシワシントンは風が吹き荒ぶその中心で、足を地につけながら「自分はここにいる!」と叫んでいるような感じがする。
話は変わるが、M1グランプリに霜降り明星が出てきたとき、審査員の塙さんが「強弱でいえば2人とも圧倒的に強い」と評していたが、このアルバムにもまさに同じことが言えると思う。
Laufey
Laufeyは中学の頃に憧れていた女の先輩、という雰囲気がある。どこか大人びていて、何を考えているかわからない。とはいえ普段話すと案外、自分も考えていたようなことを考えていたりして。でも時折、ほんとうに自分が予想だにしない角度で物事を考えていたりする。
僕からすると彼女の歌声は、そんな掴みどころのないオーラを纏う1個上の先輩が放課後の教室で一人呟いている本音のようなものだ。
夕方の光をいっぱいに受け止めた空っぽの教室は、その学校の生徒でさえも懐かしさを感じてしまうほどの輝きを放っている。そんな教室から、歌が聞こえる。憧れの先輩が一人で、呟くように歌を歌っている。何を考えているのだろう。でも、その歌には確かに彼女の本音が散りばめられているような気がする。
そのまま何も気にせず歌っていて欲しい。僕は教室には入らずに耳だけ傾けている。そして、彼女の声に込められた「何か」を必死で聞き取ろうとしている。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n802831a35ecd 公開日: 2024-04-16 18:00
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