カモミールビール
カモミールビール
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ビールの代わりにカモミールティを飲んでいる。
とある日曜14:00、僕の小さな決意の話。
https://note.com/reitsuzuki/m/m9427bf6d581d
「80歳まで毎日欠かさず書き続けたエッセイはのちに研究対象になるね」
2021年の冬、友達の家のベランダで僕は友達に嘯いていた。とても寒い夜だった。薄着のまま外に出てきてしまった小さな落胆を背中に抱え、僕らはビールを片手に煙草を吸っていた。友達からの返事は覚えていない。僕は続けた。
「この世で一番強い生き物ってなんだと思う?」 「カバとかクマとか?」 「違う、縄文杉さ」
縄文杉は本当にすごい。どこにも移動することなく、雨風にじっと耐え、何千年と生き続けることに、この上ない強さを感じていた。その強さが僕も欲しかった。けれど、僕はその場所一点にとどまることはできない。だから、毎日続ける何かが欲しかった。80歳になった自分がこちらを見ているような空と、白い煙だった。
あれから2年半。僕は週に5日、欠かさず文章を書いてはnoteで投稿を続けてきた。そして、この度、その投稿頻度を週に1日にすることに決めた。このビッグチャレンジを、怠け者の同士たちはきっとわかってくれるだろう。そう、僕は怠け者だ。怠け者なら頻度が高い方が逆に続けやすい。1週間も空けてしまう方が、逆に自分を信用できない。そんな僕が、2年半続けてこれた。このタイミングで、そろそろ頻度を落としても良いんじゃないか?と思えるようになったのだ。
自分の人生グラフが歪なNのグラフを描いているような感覚になれたから。x軸が時系列、そして、y軸は「塗りしろの量」とでもしようか。今よりもう少し若い頃、自分の”できるであろうこと”の領域がすごく広かった。学生になって、初めて体験することの量が急に増えてきたなかで、できるであろうことの領域も、鰻登りで広がっていくように感じたのだ。そんな自分もやがて、大きな絶望がやってくる。「塗りしろなんてものは存在しない。できることができること。」ということに大きな納得感が伴うようになる。というか、やってきたことの間違いに気づく。持っていた価値観の物差しの間違いに気づく。昔”できた”ことが、できていなかったことだと気づく。僕はどんどん小さくなっていった。その最小値で始めたnoteであったが、本当の意味で出来ることを2年半積み重ねた結果、ほんの少しだけ、遠くの自分を信じられることができるようになったのかもしれない。
頻度を落とすことは、それだけ1つの文章に向き合える時間が増えること。僕はこれを利用して、もう少し普遍性の高い文章を生成することに努めたい。僕にとって文章を書くことは、自分のエナジーを注ぐことである。自分のエナジーには限界がある。性欲のように。だから、放出する回数を落とすことは、非常に重要なことだ。大きな山を狙うには、それに絞って集中しないといけない。その代わり、その体験によって得られる興奮は小さな山を寄せても敵わない。地面師を僕は見ていないのだけれど。
今朝、『風の歌を聴け』を読み返していた。ビールを飲んでいる2人が羨ましい。僕はカモミールティ。色は似ている。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n2a370ca375c7 公開日: 2024-10-06 14:00
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