シン「宝くじ期待値」論
シン「宝くじ期待値」論
宝くじを買うのは損か得か。 あるいは、どう買うのが得か。 そんな話をしたい。 決して、「期待値計算で損、故に損。」みたいな話ではない。
というか、期待値計算して「結論、損」ってバカみたいな話ですね。 じゃんけんでグーとチョキが出て、「うん、グーの勝ちですね」って言ってるようなもので説明する価値がないというか。 この手の「世界を見るメガネ」はツマラナイ
https://note.com/reitsuzuki/m/m9427bf6d581d
とはいえ、僕もかつては↑みたいな理論の信者だった。 人生で宝くじは一回も買ったことはない。宝くじのビジネスはしたいなと思ったことあるけどね。宝くじを発行する側ね。 だって、そっちの方が圧倒的にウハウハでしょう。
・・・
今日、話したいことは、期待値信者だった自分が何をきっかけにどう変わったか、ということ。 ある日、宝くじを買ってきた友達とこんな話をしまして。
「もし5億当たったらどうする?」
なんてことない、どの世界の友達の間にもあるような話。 ただ、これが思いの外盛り上がりまして。
だって、実際に当たるかもしれないんだもん。 そのときに「この話って、実際に友達が買ってくれたからこんなに面白く話せるんだな」って思ったんです。
もちろん、当選確率は限りなく0に近いでしょう。 それでも0より大きい可能性のなかにいる以上、もしも話が楽しくできるわけです。 その享楽にお金を払っていると思うと、途端に腑に落ちる自分がいたのです。
要は、お金で「当選発表まで夢を見ることのできる時間」を買っているんだなと。
だとすると、これは、TWICEのライブに行くように「コト消費」の文脈で理解できて、だったら、別に買うのもアリか、なんて思う自分がいたのです。 しかもですよ。
思えば、何事においても「夢が叶う確率」ってそもそも非常に低いものじゃありませんか?
例えば、さっき「だが、情熱はある」の9話を見て、オードリーさんが敗者復活戦を勝ち抜きましたが、幾千もの芸人が散っていく芸能の世界で、”当たる”確率なんて限りなく0と言って良い。
こんなこと言うの残酷ですが、世の野球少年の99.9%は大谷翔平のようにはなれないんですよ。 努力じゃどうにもならない夢ってやっぱりあって、そう考えると、何も宝くじだけが何も馬鹿にされる筋合いはないんだろうなとも思ったんですね。
「じゃあ、損得で言えば、結論は得!」
という話ではない。 以上を踏まえて、話の焦点は「宝くじ当選、という夢を見るのに見合う金額はいくらか」ということになってくる。
例えば、こんなケースを考えてみます。
宝くじを定期的に買っている人が、いつもの通りに惰性で買ってしまって、そのまま買ったことを忘れているうちに当選結果が出て、外れて落ち込む。
これでは、夢を見ることがそもそもできていないので、たとえ、1口分、数百円の金額であっても、まさにドブに捨てるような行為です。 せっかく買ったんだったら楽しまないと! 夢を見ないともったいないです。
たくさん友達と話して、自分でも想像を膨らませて、こんなこと、あんなことがしたいなとか思ったりして。 その夢を楽しむ金額として、見合うかどうか、という部分で損か得かを決める、というのはいかがでしょう? これが、僕なりのシン「宝くじ期待値」論です。
まとめ
まぁ個人的には、こんなことしたい、あんなことしたい、ならすれば良いじゃんって思うんですけどね。
何も大金の獲得、しか道がない、みたいな人生はとても生きにくい気がします。 すぐ買おうとは思わないけれど、いつか宝くじ、買ってみても良いなと思いました。
そうだなぁ、TWICEのライブで7,000-10,000円くらいでしょ? だったら、出せて1,000円くらいかなぁ。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/neeaccb4af383 公開日: 2023-06-08 17:00
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