スクリーン越しに過去を振り返る
スクリーン越しに過去を振り返る
最近、仕事を忙しくさせてもらっている。
娯楽といえば、出勤前後に見る映画のみ。ただ、2hの余暇時間が一日のなかで捻出できたとして、なにもその時間のすべてを1本の映画に捧げることはないだろう。自分にはそういった極端なところがあって、「三角食べ」のような遊び方ができない。映画を見ることになるべく専念しようとする。そこには、映画に対する興味とか感情とか、そういうものではなく、僕の意思がそうさせている。
今よりもっと若い頃、僕は映画が嫌いだった。というか、そう周りに言い張っていた。小学生の頃は大好きだったのに。なぜそんなことを言いふらすようになったのだろう、きっかけはもう覚えていない。
中学2年生の頃、なんとなく付き合った他校の女の先輩と、映画館のデートというものを初めて体験した。もしかしたら、映画が嫌いだと言ってのけるような高校大学時代を過ごすことになったのは、これがきっかけだったのかもしれない。この体験で、僕にとって映画は「デートの手段」というくだらないものになってしまった。映画側は何も僕らを咎めることなく受け入れた。逆ギレにも近いような感情だが、「こんなんで映画って見ていいの?」と、映画側に少し落胆してしまった。
映画を見終わった後、「私と付き合うのは大変よ?まず、花火大会とクリスマスと正月は必ず一緒に祝うのよ。あと原宿に行って買い物にも付き合ってもらうわ。それから…。」 僕は、人生で初めて興醒めした。当時、僕は興醒めを知らなかったが、あれは確かに興醒めだった。
中学3年生の頃、当時付き合っていた人と映画に行った。帰り道、映画館から階段で降りる時に、やや足を挫くような転び方をしてしまい、彼女は大笑いした。別に大怪我にはならなかったし、何より彼女に笑ってもらえたことが嬉しくて、心底、転んでよかったなとすらそのときは思っていた。 翌日月曜日の学校で、周りの女友達から「階段で転んだのダッさー」と次々に言われた。これがきっかけで映画館に行くことから遠のいてしまったのかもしれない。
原因はわからない。
それから数年間、長いだの所詮真似事だの、映画そのものに毒付いてみた時期を経て、学生になる頃には「映画館で見る映画が嫌い」みたいなトーンダウンというか、捻くれたような微妙なところに着地していた。「びっくり!私も映画館嫌いなの」。そのように共感してくれた女の人がいて、僕は「なんでだろう」と逆にびっくりしていた。
今やもう20代も終盤。
あの頃、別に嫌いでもなかった映画を遠ざけていたことで、成熟しきらなかった心の何かがあるような気がして、僕はそれらを取り戻すような感覚で、片っ端から食い漁るように映画を見ている。「20代の頃に見た映画」というワードがとにかく欲しいのだ。仕事はおかげさまで忙しくさせてもらっているが、それでも少ない余暇を、映画に全振りしている意思の裏にはこんな背景がある。
今月よりAmazon Primeで無料公開された007シリーズをいまは頭から見ている。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/nb3d5000bbd53 公開日: 2024-10-13 14:00
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