センスを保存するための言語化
センスを保存するための言語化
「ダビデ像のエロスは、隆々としたたくましい体に布という極めて柔らかいフェミニンな素材を直接に合わせているからであり(中略)」
美的感覚の劣化と言語化の価値について、深い洞察を展開してみたいと思います。
私たちは往々にして、センスや美的感覚を直感的なものとして捉えがちです。あるものを「かっこいい」と感じる瞬間、その判断は一見すると瞬時の感性によるものに思えます。しかし、本当にそうでしょうか?
美的センスは確かに時とともに風化していきます。かつて最先端のファッションを纏っていた人々が、時代の変遷とともにその輝きを失っていく様は、私たちの周りでよく目にする光景です。特に、ソーシャルメディアという新たな表現の場を得た時、その違和感は一層際立ちます。
しかし、ここで重要なのは、美的価値の「理解」と「表現」は別物だということです。ミケランジェロのダビデ像が持つ美しさは、単なる視覚的な印象ではありません。それは、男性的な力強さと女性的な柔らかさという、相反する要素の絶妙なバランスによって生み出されています。このように美を言語化することで、私たちは単なる「感覚」を超えた、普遍的な美の原理を理解することができます。
この「言語化」という行為は、実は読書の本質とも深く結びついています。優れた本は、漠然とした感覚や経験を、明確な言葉として定着させる力を持っています。それは単なる知識の蓄積ではなく、世界を理解し、表現するための新しい「言語」を獲得する過程なのです。
美的センスの劣化を防ぐ最も効果的な方法は、paradoxicalですが、センスそのものに頼らないことかもしれません。なぜその組み合わせが美しいのか、なぜその配置が心地よいのか、その理由を言語化し、理解することで、私たちは時代や年齢を超えた美的判断の基準を手に入れることができます。
これは単なる理論化や形式化とは異なります。言語化とは、感性を失うことではなく、むしろ感性をより深く、より持続的なものへと昇華させる営みなのです。そして、この過程こそが、真の意味での「読書」が持つ力なのかもしれません。
私たちの感性は確かに時とともに変化します。しかし、その本質を言語化することで、私たちは永続的な美の理解への扉を開くことができるのです。
Atogaki
前提、センスは枯れると思ってる。かつて日本を席巻したトレンディなメンズがおじさんになってインスタと出会い、その後の運用のダサさに怯えたりする。美的センスみたいなものは、どんどんすり減ってしまうのが世の常なのだ。そこで、言葉としてそれの説明を持っておく必要があると思う。なぜそれがかっこいいのか、なぜそれが美しいか、なぜそれがセンスあるか、きちんと言葉にして持っておくと、忘れない。ダビデ像のエロスは、隆々としたたくましい体に布という極めて柔らかいフェミニンな素材を直接に合わせているからであり、その言語化があるだけで、そこに自分がどうすればカッコよく見えるだろうか?という応用の可能性が生まれるだろう。
都築怜
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n0b1bdd253abb 公開日: 2025-02-28 18:00
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