「デブは甘え」という強い考え。

「デブは甘え」という強い考え。

image ** デブにも理由があんだから認めてやれとか言いたいわけじゃない。 人は人、気にすんなよって思う。 もし、その人にとって痩せた方が本当に良いことだと思うならば、「痩せた方が良い」と言ってあげるべきだと思う。 「デブは甘え」とは言わなくて良い。

・・・

夜、飲み会が終わって帰宅ラッシュを過ぎた時間帯の程よい混み具合の電車に乗っていた。 疲れた大人たちの景色を構成する一色にきっと自分もなっていたのだろう。僕は吊り革に捕まって、音楽を聴きながら書き途中の記事に手をつけていた。

とある電車の停車駅。 そこで乗車してきた人が、僕の後ろを通って、ドアから遠い位置の吊り革に捕まろうとしてきた。 が、僕が邪魔で奥に行けなかったようだ。

彼は僕に舌打ちをしてきた。

今思うと、僕が奥にズレれば良かった。 ただ、確かさっきまでは横に誰かがいた記憶がある。 その記憶のままで、スマホに集中してしまっていたばかりに、配慮に欠けた行動をとってしまった。

それよりも、そもそも立ち小便機の前で一歩前進するように、グッと席に体を近づければ良かったのではないだろうか。

否。それはできなかった。 僕の前には、見事に太った人が座っていたのだ。

たまに見かける結構太っている人、というくらいには太っていた。

その人なりに足を丁寧に折って座っているつもりでも、僕が立つスペースはどうしたって後ろになってしまうのだ。 舌打ちをしてきた彼はこの僕の事情は知らないだろう。 いや、知られなくたって良い。 僕は次に彼の立場のようなことが起こったら、何かそう言う可能性を考慮できる人間になろう。

・・・

太った人は確かに左右に座っている人間をだいぶ圧迫している。 時折、嫌悪感を丸出しにしたような表情で、太った人を睨みつけている。

まぁ、気持ちは分からんでもない。

そのとき、どことなく、「デブは甘え」という言説が聞こえてくる気がした。

ちなみに僕は、「デブは甘え」という考えがあまり好きじゃない。

なぜかというと、自分にとっての甘えと他人にとっての甘えを一緒に考えているからだ。 極論、「デブは甘え」という人間の根拠は、”自分の体にとって”デブが甘えだからなのだ。

その人にとって、デブは甘えでもなんでもないかもしれない。 心身どちらかに病気を抱えた人かもしれない。

別に「デブを認めてやれ」と言いたいわけでもない。 それぞれの正しさがあるとか言いたいわけでもない。

そもそも、そんな構うなよと思う方が強い。

だからこそ、デブは甘えという人に対して逆の意見をぶつけてやりたくなるのだ。

自分にとってデブが甘えだと思う気持ちがあって、自分なりの努力をする。それだけでいいじゃないか。

他人は関係ないだろう。冷たく言えば、どうでもいいだろう。

太った人があくびをし始めた。

こっちはspotifyの音量を上げるだけだ。

勝手に寝てれば良い。

呼吸が不完全だ。

これを解決するために、この人にとって痩せることが正しいのであれば、僕はこの人に「痩せた方がいいですよ」と言ってあげたい。

デブは甘え、ということと、痩せた方がいい、ということはメッセージの核がまるで違う。

痩せた方がいいというのは、その人にアクションプランの提示とかアドバイスをしているのに対して、デブは甘え、というのはまた少し違う気がする。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n7fbc5658d8f3 公開日: 2023-11-07 18:00

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