人は大して変わらないことが証明されました。

人は大して変わらないことが証明されました。

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《このnoteに書いてあること》

友達が写真を撮って送ってくれた僕の小学校のときの卒業アルバム。 文章を読んで、「なんか今書いてる感じに似てるな」と思った。 文章のテンポ感というか、物事の見方というか。

結局人ってそんな変わらないんだなぁと。 僕はある種の限界と、同時に安心感/使命感のようなものを感じました。

以下、小学校の卒業アルバムの転載。 過去の自分に許可を取っておりませんが。 でもまぁ、いいよなぁ?僕。

※漢字、句読点の使い方、誤字、全て忠実に転載しておりますゆえ、多少の読みにくさはあると思いますがご了承ください。

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体験から学んだこと  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ぼくはこの小学校に三年生のころ転入してきた。 そのため、この小学校には四年間しかいない。

しかし、ぼくはいろいろな事を学び、 そこでいろいろ考えたりした。 そしてたくさんの思い出が残った。

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五年生と六年生の時、 ぼくは八ヶ岳自然教室と日光移動教室に行った。 ぼくは八ヶ岳や日光のようにクラスみんなで泊まる事が初めてだったので、とてもうれしかった。

八ヶ岳では、 特にほうとう作りと、キャンプファイヤーがとても楽しかった。 ほうとう作りは、少し新聞紙のコゲた物が中に入ってしまったが、みんなで作って食べたのでとても美味しく感じた。 キャンプファイヤーではみんなでおどり歌を歌ってとても盛り上った。

そして日光では、 特に行動班での事が1番心に残っている。 行動する事が多かった日光では、さまざまな所で、行動班の人と協力したと思う。 あと、歴史の重みに圧倒された。 ぼくはここでたくさんの思い出を残した。

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五年生の秋、ぼくは学芸会をした。

ぼくは後半のジョンの役で三十個ぐらいのセリフをがんばって覚えた。 あと、舞台での動き方などを体に覚えさせるくらい練習した。 学芸会本番が近づくたびにぼくはどんどんきんちょうしていった。 しかし、他の人ががんばっている姿を見たらきんちょうは自然に消えていった。

また、先生が 「二人でセリフを言う時は、目を合わすんだよ。」 と言われ、直すのに苦労した。 しかし、日々練習を重ねるうちにだんだんとみんなの息がそろっていく事を感じた。

とうとう本番の時が来た。 ぼくはきんちょうして体が思うように動くか心配だった。 結局、練習以上の劇ができて、学芸会は大成功に終わった。

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そして六年生の最後の運動会では組体操の十人タワーが一番心に残った。

ぼくは三段あるうちの一番下の段になった。 一番最初は、一段目も組むのに時間がかかっていた。

やっと時間内に一段目が組めたかと思うと、次の二段目の人の乗る位置が悪く 「いたい。」 と言ってなかなか完成には近づかなかった。

いよいよ本番というとき(友達*1)がかぜでできなくなってしまった。 一応一人の子が引き受けてくれたが、ぼくはとても不安だった。 とうとう十人タワーが来た。 ぼくはがんばって成功させようと思った。 十人タワーが成功した時はおもわずとびはねてしまいそうだった。

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この小学校四年間でぼくはいろいろな事を経験した。 その中で八ヶ岳や日光、学芸会、運動会でやった十人タワーから、「協力する事の大切さ」を感じた。

ぼくはクラスのみんなのおかげで、周りでたくさんの人が支えてくれている事を体で体験できた。

(*1: 友達の名前は一応省略)

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感想  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

うん、あまり変わらないですよね。

僕は考えることを考えてきたこともあるし、当時とは明らかに物事の捉え方からその記述の仕方から変わっていると思っていたのですが。

なんか、思考のテンポというかグルーブみたいなものが似てる気がしますね。頭のなかに流れてる思考のテンポは、そう変わらないものなんだと思う。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n32e4dfa44931 公開日: 2022-06-08 17:00

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