健康/暮らしに関わる「こうした方が良い」を過信しない

健康/暮らしに関わる「こうした方が良い」を過信しない

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認知症を防ぐためには毎日〇〇をした方がいい。 老化を防ぐには〇〇をしてはいけない。 綺麗になるために、モテるためにこれは不可欠。 みたいな話を過信しないようにしているって話。

なぜ過信しないか

ハゲを防ぐためにこれをしろ。 稼ぐためにこの習慣を身につけろ。

上で挙げたような命題に対して、最もらしい理論がgoogleにもyoutubeに溢れている。 それらの話を間違っているとは思いませんよ。 だって裏付けのエビデンスはファクトであって間違えようがないからです。 僕はこれらの話が「間違っていると思うから」過信しないわけではありません。

簡潔に言えば、 **「〇〇になる/変わる」っていう目的みたいなものが定めると、スコープが定まるんです。 **だから過信しないのです。

塾講師の思い出

塾講師のアルバイトをやっていて強く感じた意識は「科目間のバランス」。 僕自身がそういう人間だと全くもって豪語することはできないけれど、全部の教科をある程度は教えられるくらいの人が塾講師になるべきだと思う。

確かに、受験校に合格するために 「国+数+英、合わせて300点満点なので…」 という捉え方から入るのもあって良い。

ちなみに、この捉え方で行くと、その先の思考の流れとしては当然、 ・それぞれの科目をどう伸ばそうか ・その科目のここを伸ばすためにこのタスクをこなしましょう となってくるが…

この状態って、3要素(各教科)を極めて”独立的”に捉えているんですね。 数学を伸ばす、国語を伸ばす、英語を伸ばす、3直線引いてるイメージ。 この発想が悪いわけではないけれど、もう一つの捉え方も持っておくべきだと思うのです。

**それは、「300点満点の1つの試験を受けている」とみるような俯瞰の視点です。 **なぜその視点が必要か。 それは、各科目の実力を伸ばすための作業に、 「自分の時間」というリソースを投資しているからです。

持ってるリソースで何に取り組むか、という視点に”科目”という概念は存在しません。 ときには、

・数学の計算力を上げるために計算問題の練習をやるべきか ・国語の漢字力を上げるために漢字の練習をやるべきか

を考えなければならないのです。 これは、数学というスコープ、国語というスコープしか持ち合わせていないと見落としがちな話だと思います。

まとめ

老化を防ぎたかったら、これはしたらダメでこれをしたらいい。 みたいな話が、先の例で言う「数学だけ」「国語だけ」の話をしているようにしか思えないのです。

もし例えば、 認知症を防ぐためにランニングが良いとする。 ただ、老化を防ぐためにランニングが超悪質だったらどうします?

生活の全部はつながっているので、googleやyoutubeにあるような理論を吸収しつつ、自分で「暮らし/生き方」という全体をコーディネートすることはとても重要なことと思うのです。

【読み返してみて追記】 そもそも、「〇〇になる」というゴールを本気で達成しようと思ったら、それは生活の全てがそこに注がれるわけで、その点においても、そもそもGoogleやYoutubeにある「した方がいいこと7選」みたいなのが情報として非常に軽く、ここまで大それた話をすることなく、過信するべきではなかったのかもしれません。

https://open.spotify.com/album/5kURwScpbql7RUhEhizY2Q?si=aB1pl3xkROOixHE68noMcQ


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n732faf37d8c5 公開日: 2022-05-16 17:00

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