僕が思うカッコいい着こなしの基本的な哲学

僕が思うカッコいい着こなしの基本的な哲学

僕にとってカッコいい着こなしの定義は「誰もが容易く再現できるが、誰にも再現できないこと」です。 「ありふれているのに、飛び抜けていること」と言い換えることもできます。

名前で例えるならば、「太郎」ほどにポピュラーな名前でありながら、「太郎」と聞くとあの人だよねってなるような感じ。 子供に珍しい名前をつければ、子供は多少目立つことになるだろうとは思いますが、個人的には「そりゃあ、でしょうね…」と思ってしまうのです。

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唯一性と珍しさ(=人と被らないこと)は違います。

唯一性を「珍しさ」で作ろうとすることは、私個人的な感性としてはなかなか受け入れられるものではありません。

そしてカッコいいのは、珍しいことではなく、唯一性があることです。 唯一性はカッコいいを作る上で非常に重要なキーワードの1つだと思います。 アイコニックな存在かどうか、これはカッコいいかどうかの1つの判断基準です。

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というか、珍しさに走っている人の姿を見ると、可哀想に見えることがあります。

それはまるで「虎に追われて木に登っている人間」のよう。 他人と被らないことを唯一性の根拠にしてしまうと、基本的な思考が逃げの姿勢にならざるを得ないからです。

要するに、虎に追われて、より木の高いところに登っていこうとする姿と重なってしまうのです。 それは実に可哀想なことです。

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では、唯一性はどう説明するべきでしょうか。

逆説的な結論かもしれませんが、僕は「人と同じ土俵に立つこと」だと思います。 それは、なんの変哲もない、白Tシャツを着ることです。 なんの変哲もない、ただの真っ黒な下着を身につけることです。 派手な柄、珍しい柄、珍しい色を着ないことです。

一才の奇を衒わない姿勢が重要だと、個人的には考えています。 私は「無地に勝る柄は無い」と虚勢を張って、シンプルで簡単でありふれたものだけを身につけるようにしています。

これは「ノームコア」とはまた違った角度の視点の話です。

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こうして現在、僕は当たり前のようにマスのなかに埋もれて生きています。

そりゃ、ありふれた格好をしているのだからしょうがありません。 普通の人間、白Tだけでかっこいいなんて無理です。 でも、これが自分の位置だと理解したい。

そして、体作り、キャリア、内面、教養、などなど、あらゆる自己研鑽を重ねたのちに、埋もれない自分を作ることができると僕は信じています。

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僕は、ありふれたもので、誰にもマネできない着こなしができることが真のカッコいいの1つの形だと思っています。

例えばHanesの白Tなんてホントにどこにでもありますからね。 それをあんなにカッコよく着こなしたトムクルーズ(トップガン)は最強です。 もはや別のTシャツなんじゃ無いか?とすら思わすくらい、カッコいい。

やっぱり着るモノじゃ無いんですよね、着るヒトなんですよね。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n8f62ff5df955 公開日: 2025-05-21 12:00

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