【全文無料】お時間あれば僕と「結婚と運命」について考えてみませんか。

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「昔書いていた文章を振り返ろう〜」のコーナー!

なぜやるかというと、最近noteを振り返ってみたときに、

“あれ、このテーマについて書いたことなかったっけ?書いた記憶はあるんだけどな…”

みたいに感じたテーマが結構多いと気づきまして。

要は、昔から文章を書くクセはあって、書き溜めていたものがまぁまぁあるんですよね。 それを知った上で、今のnoteのラインナップにを見返すと、 ある種の物足りなさを感じてしまった。 確かに、過去書いた文章あっての今書ける文章があるのは間違いないので、そういうのは積極的に見せていこうと思いました。

てことで、最初にお見せする文章は数年前の自分が書いた、まぁなんとも壮大なテーマの文章。

https://note.com/tsukasa_ichinose/m/m9427bf6d581d

結婚する平均年齢が上昇していると言うけれど、本当に「平均」なんだよね。 僕の周りでも既に結婚をして、子供を産んで、更には三十何年ローンとかで郊外に戸建てを持つ人間まで現れた。 もちろん、あくまでも実感ベースだけど、そりゃあまだ知り合いの過半数を超えるほど結婚している人はいないよ。知り合いをn人として、その10%?いやもっと少ないか? まぁそんなもんだけれどさ。

やはり、ファクトと受け止め方にはギャップがあるもんだ。 〇〇くんが結婚した、っていうのを何個か聞くだけで、「あの人もこの人も」感が出る。

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ちなみに、自分の話をすると、まだ焦ってはいない。 ただ、全く結婚を考えないわけじゃない。

僕はどんな人と自分は結婚するのだろうと、 今とは遠い時間を生きる自分を他人事(ひとごと)として想像することはある。 そりゃ僕だってたまには両手の小指の下あたり、手の皺を確認してみたりすることもある。

例の2つの線の真ん中よりちょっと上くらいにぶっといのが1本。

つか、手相って誰が考えたんだ。 違う時間軸を生きる色んな自分を想像しながら、それでもこの体は変わらない、という発想。体のなかでも視認しやすい手の平で未来、過去の自分とコンタクトを取ろうとする発想は確かに面白い。 そうか、「君の名は」の名前を腕に書くようなモチーフは手相から生まれたのか?

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話は変わるけど、やはり相手探しは、”網漁的”なものじゃないと思うんですよね。 テレビCM的な発想じゃないと思う。 すなわち、「出会いの数×LINEアカウント交換率×デート率×成約率」的な図式のなかで、なるべくCVRをあげようとするアプローチ、ではないと思っています。

臭いこと言うけど、気づくことだと思うんですよ、「この人だったんだ」と。 だから、その人に対して「貴方だったんですね」と思える人になることの方がよっぽど本質的な”結婚マーケティング”だと思っている。

だから己を知ること、あるいは自分に与えられた使命に対して必要な感覚やスキルを磨き上げておくことが先決であって、他人を自分の図式に巻き込むものじゃないと思った。 針のように鋭くなっておけば、刺さる人間がひとりになる感覚、というか。

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そもそも、生涯幸せに愛し合える相手なんて世界に70億人いても、まぁ数人いるかいないかくらいだと思うんですよ。 全てを受け入れられるような、その人にあって世界がまるっと変わったように見えるような人間、そういう人間は大抵現れない。 そして、それが好きみたいな話だと思う。

だから、網漁とかじゃない。 100人引っかかっても”あの人”がいないなら0人、的な、そういう世界観な気がする。

その点、CMマーケティングの図式だと、「100人引っ掛けてもいないなら、じゃあ1000人引っ掛けないと」っていう発想になるじゃん、これはナンセンスな気がする。 俺が悠長なだけかもしれないけど。

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想定され得る反論その1

「結婚なんてした後が大事なのよ、してからどう付き合うか、どうお似合いになるかが大事なんだよ。」

この意見は大賛成。 つか、結婚相手を見つけるまでの重要性を話している僕と、結婚してからの重要性を話しているこの意見は、そもそもぶつかってない。 僕は、結婚してからの付き合い方も当然、大事だと思っている。 ただ、生涯を共にする人について語る際に、どのフェーズであっても「大事じゃない」瞬間はないと思っている。

想定され得る反論その2

「”この人だったんだ”と気づくって、じゃあ最初から相手は決まってるってこと?運命ってこと?」

そうそう、ここが僕の言いたいことの本質的な部分。 運命ではないと思っています。

運命という言葉は、あまりにも”主体性”が欠けている感じがして好きじゃないのです。 極端に言えば、「決まってるならどうでもいーやー」って今の自分がなってしまう感じが好きじゃない。

僕の意見では、今の時点では常に相手は不確定なんです。 しかし、自分の過ごし方によって決まってくるものだよね、と。

んで、ある人と出会ったときに過去の出来事、歩んできた道のりが全てつながって、「この人だったんだ」と気づく、そのときに初めて相手が確定するんですよ。 光子がスリットを抜けて、壁に当たったときにはじめて、そうだったと確定するように。 常に、その時点では不確定である、という点で運命ではない。

僕の言う意味をも「運命」の語義は含んでいるのかもしれないけれど、 個人的な「運命」に対する印象として 「既に〇〇さんといついつ結ばれるに決まってる」みたいな感覚があったので、そうではないだろうと言いたかったまで。

どうなんでしょう、少々ロマンチシズムに寄ってる気はするが。

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暇なら一緒に考えてくれると嬉しいです。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n4f2072e701a6 公開日: 2022-08-18 17:00

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