嘘は毒
嘘は毒
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良い嘘と悪い嘘があるのではなくて、そもそも嘘は毒のようなもので、毒で癒せる傷もあれば、蝕むものもある。ただそれだけなんじゃないかと思うようになった。ただあくまでもこれはちょっとした副産物的な発想で、僕が本流として考えていたことはもう少し違うこと。
嘘は「本当」を届けるための手段として効果的に機能するんじゃないか?という話だ。
例えば…。ここで「例えば」として、話をするのも強烈に憚れるのであるが…。念の為、もう一度だけ言っておきたいのが、今から話す数行は、本当に全くの”デタラメ”である。
例えば、僕が付き合っている彼女の携帯を覗き見して。 彼女がある男と親しげに会話をしていたとして、 僕が彼女をとてつもない剣幕で罵ったとする。
もちろん上の話は、過去の僕の人生のなかで一回たりとも存在したことはない。
まず断っておきたいのは、恐らくこれら一連の行動はどれも違法行為ではない(と思う)。多分、携帯見るはOKですかね。浮気も別に大丈夫(?)、と。もしかしたら「とてつもない剣幕で罵る」が、やや法の範囲を脅かしているのだろうか。細かい部分はよくわからないが、ここは「法的に重罪として長期間の懲役に服さなければいけないような行為では少なくともあり得ないだろう」ということとして、話を進めさせていただきたい。
さて、冒頭のシチュエーションについて振り返ってみると、僕は例え話だと強く強調したとしても、あんな話をしたくない。しかし、人は自らの強烈な感情を前にしたとき、思いもよらない言動を取ることは、もちろん程度の問題はあれど、想定されることではある。たいてい、好きな人と嫌いな自分は同時にやってくるもの。
そんなことを思い起こして文字にすることは実に貴重な内省の機会だ。一方で、冒頭で話したような仮そめのエピソードを告白することを想定すると、まず自分の彼女が浮気をしたことを公言しなければならない。それはそれで、彼女に迷惑がかかってしまう。
そんなときに「フィクション」というものが手助けしてくれると思ったのだ。例えば、まず男女を入れ替えてしまう。
こんな女性がいたんだ。 女性が彼氏の携帯を覗き見した。 彼女はすごく激昂した。
そんな話を聞いたんだ、というように。
一見、全く違う話のように思えるが、そのコミュニケーションの中に織り込むべき心理的なものは全て本物だ。そして、その部分こそが真実であって言いたいことだ。そう考えると、小説とかフィクションを書くのはそう悪いものでもないなと思ったのだ。
こうやってエッセイを書いていると、どうも限界というものがあるなと最近思う。その部分、小説なら受け止めてくれそうな気がしている。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n8533a374641b 公開日: 2024-04-18 18:00
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