変わること、愛すること
変わること、愛すること
我慢、という言葉が嫌いだ。
なぜなら我慢の前提にあるのは、「自分は変わらなくて良い」だからだ。
ワガママな慢心と書いて、我慢、である。
頑固という言葉も嫌い。頑なに固執する、と書いて、頑固だ。
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もし、我慢をしようとしている人がいたら、「耐え過ぎるのは体に毒だよ」、とか「精神的に参っちゃうよ」とか、そういう慰めをしてはいけない。
「あなたは間違ったことをしているから、我慢なんてやめなさい」である。
我慢なんてしちゃいけない。
スクランブル交差点の激しい人の往来のなかで、頑なにその場を動こうとしないような態度、それが我慢であるし頑固である。
それは周りの人にとっても、その人にとっても快適ではない。
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この世の中、変わらないことなんてないのだ。
というか、変わり続けることが正しいし、この世の摂理に極めて沿っている。
肌も、体内を流れる水も、ウイスキーもワインも、雨も川も海も、宇宙も、虫も蝶も動物も、我々人間のDNAも、常に変わり続けていくのだ。
変わってないと思うのは低速なだけ、必ず変わっている。
だから、自己の習慣も、交友関係も、記憶も、愛も、変わり続けるものだし、そうであるべきなのだ。
もし、昨日の自分と習慣や知識や経験が変わっていなかったら、1日体を洗わずに過ごしているようなものだ。
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とはいえ、交友関係を忘れるとか離れるとか、そういうことではない。
ただ、手放すだけだ。
死んだじいちゃんも、学生の頃の友達も、昨日飲んだ水も、洗い落とした角質も、この宇宙のどこかにいる。
そしてまたきっと出会える。 繋ぎ止めておく必要はない。 出会いと別れは実にロングスパン。
じゃあ人を愛することはどういうことか。 変わりゆく愛というのはどういうものか。
最愛の人とは、昨日好きだった関係が今日も続いていることではない。
毎朝起きたとき、その人が最愛の人だと選び続けているのだ。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/ne6957231a9f0 公開日: 2025-06-19 18:00
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