対象と容器、文章の書き方。
対象と容器、文章の書き方。
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不安定、不確定なものをどう書き残しておくか、ということの一つの解なのかもしれない。
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テレビで、俳句の査定番組をたまに見る。 そこで素人目に感じるのが、俳句において重要なことは、そのときのキモチをどう「場面」のなかで表現するかである、ということだ。
たとえば、俳句のテーマが「失恋」だったとき。 17音のなかには、「悲しかった」とか「泣きたい」というような、その人の気持ちを説明したような言葉は入らない。
例えば、”三日月”とか”切れかけの街灯”とか、”隣の家の笑い声”みたいに、表現したい気持ちを感じた「場面」を想像させるような言葉が入ることが多い気がする。
要は、場面のなかで気持ちを再構築している。** 今までは、俳句とはそういうもの、という理解でいた。ただ、「なぜそのような手法を取っているのだろう?」**とふと考えてみたとき、文章の書き方にも反映させられるような学びを得ることができたのでメモ書き程度に書き残しておきたい。
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先に挙げたような、”三日月”とか”切れかけの街灯”とか、”隣の家の笑い声”みたいな情報は、確定性の高い情報である。Factといっても良いかもしれない。
共有しやすい情報なのだ。例えば、三日月、といえば、人は同じような欠けた月をイメージすることができる。
それに対して、「悲しい」とか「泣きたい」とか、本人が失恋をして感じた感情(=一番伝えたいキモチ)は、非常に不安定で繊細。少なくとも、「悲しい」の3文字だけで、共有できるものではない。
3ヶ月付き合った人と失恋したときの「悲しい」と、3年付き合った人と失恋したときの「悲しい」は全然別。性別によっても感じ方が違うだろうし、そのときの年齢によっても変わってくるだろう。
僕のように文章だったら、言葉を重ねることで、キモチの再構築を図ることは可能である。しかし、17音しかない俳句の世界で、キモチを伝え切るのはどうしても難しいものがある。
ではどうすればよいか? ここで、発想の転換が求められるのではないかと思う。
要は、「対象」を説明するのではなく、対象がスッキリ収まる「容器」を作るという発想だ。
ここでいう「対象」とは、もちろん自分の伝えたい気持ち。 そして「容器」とは、その気持ちを感じた場面のこと。
その特定の対象物のためだけの完璧な容器を作ったとき、人は容器を見るだけで、対象物を想起できるのではないか。だから俳句は場面にこだわっているのではないか、と思ったのだ。
だとすれば、全く同じように文章を書くときにも参考になるなと。 実にアクロバティックな手法だけれど、一つのやり方として確かに面白い。
問題は、完璧な容器を作ること。 ここに曖昧な情報は載せられない。 徹底したファクトを積み上げねばならない。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/nbb68de344b1c 公開日: 2023-11-06 18:00
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