思考のクセ

思考のクセ

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人には思考のクセがある、もちろん自分にもある、と思っている。 じゃあ思考のクセとは何か。 自分の思考のクセの見つけ方とは。 考えてみました。

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思考のクセについて  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

西野亮廣さんのブログを読んでいると「書いてることが毎日似てるなぁ」と思う。

何が似てるんですか、っていうと、表面的な文字面はそりゃもちろん違うけど、

大衆の間違いを小馬鹿/単純にした事例で指摘しつつ、自分の思う正論を言う

みたいなパッケージが一緒な気がするんですよね。 「自分の伝えたいメッセージを届けるための論理の組み立て方」が似ている、と言えるのかな。

こういう思考のクセは、みんな持っている。 そして、自分では極めてそれを気づきにくい。 なぜなら、思考は毎日毎秒しているものであって、それ以上に自分で慣れていることはないんじゃないかってくらい慣れているから。

思考は道路なので、よく走る道、走らない道がある。 それが、 ・正しい道と間違っている道、ではなく、 ・自分がよく使っている道とそうでない道、なんだと思うようにしている。

じゃあ、自分の思考のクセはどう見つけりゃ良いのか。 自分なりに思う対策法を提示したい。

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自分の思考のクセを知る  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

結局、人が絶対に必要だと思う。 自分以外の人の話を吸収して、自分の思考を相対化させていくことでしか把握できないと思っています。人がいなきゃ自分がわからないというのは、面白い話ですが。

じゃあ、どう人の思考と自分の思考を相対化させていくかってことなんですが。 「なぜ」を問うべきだと思っています。どんなことにも。

たとえば、 「利益を上げよう、そのために売上を上げるかコストを下げよう」 という人がいるとします。

普通に納得してしまう自分がいる一方で、 なぜ納得したんだろう、と思うと結局前に聞いたことがあるからなんですよね。

この理屈にもちゃんと「なぜ」を問うべきで。 それは、「売上を上げるかコストを下げるかでなぜ利益は上がるの?」 という話ではなくて。それは上がりますよ。

利益を上げる理屈を、なぜ売上UP or コストカットで説明した?ということです。 あるいは、なぜ利益を上げたいんだろう、です。

そういうものだから、と信じている場合、そこにその人の宗教観があると思っている。 そうだと信じているからです。

僕は、 世界には「そういうものなんだから」で説明できることは限りなく少ないと思っています。 だから、僕は上で述べたような話もまた一つの思考のクセなんだと思っていたいのです。

こんな感じの「絶対の排除」的な部分が僕の根っこというか宗教観なんだなと思う。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/nd59638c6f70d 公開日: 2022-05-25 17:00

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