文字こそ全て。

文字こそ全て。

image ** 文字とは極めて瞬間的で体験的なものである。 ゆえに、文字こそ全て。

https://note.com/rei_tu/m/m9427bf6d581d

こちら、山本幡男さんが最期に書いた手記。

http://www.br4.fiberbit.net/ken-yama/www.br4.fiberbit.net_ken-yama/yi_shu.html

凄みを感じる。 足先から小さい何かがブワーッと咲きみだれていくような鳥肌が。 胸まで迫り、僕の心臓を押し込めていく。 喉の奥まできたとき、絶えきれず、思わず少しえずいてしまった。

気づけば、僕の頭に残っている言葉がどんどん減っていく。 PCに向かう手はどんどん重たくなっていく。

一旦、一呼吸入れて、少し表面的なところから書いていこう。

・・・

使っている言葉が今の僕たちと明らかに違いませんか。 たった、70年前の言葉ですよ、しかも同じ日本人。

言葉は思ったよりも速く変化していくんだなぁと。

おじいちゃんからもらった純文学全集を開いたとき、取り扱いにくい言葉が並んでいるのを思い出した。

だって、この手記、ほんのちょっと前、20世紀の文章だからね。 もしかしたら、22世紀には、僕の文字にも古さを帯びているかもしれない。 今から10世紀後、31世紀にもなれば、「古文」的なことを新しく勉強し直さないと日本人であっても僕の文字を理解してもらえないかもしれない。 時代が持つ言葉、は確かに存在ある。

・・・

言葉の群、みたいなものは個人レベルのミクロな視点においても見出すことができる。 一人一人、よく使う言葉、そうでない言葉の体系がある。 一人一人が他者の文字を受け取る「読者」の立場を取るときは、その言語体系を持ちながら、接するわけだ。

だから、人によって文字の受け取り方は違う。

さらに言えば、一人一人が持つ言葉の群は時間によって変わっていく。

故に、筆者の書いた文字に対する受け手の感覚は、極めて瞬間的なもの。 今の貴方が読むからそう感じるのです、ということ。

・・・

人が違えば受け取り方が変わる。 時間が経てば受け取り方が変わる。

当然、書かれている文字そのものは変化していないわけであるが。 仮に、星と地球のように、見掛け上の話で言えば、「文字が変わっている」ということも出来よう。 これを「言葉の経年変化」と呼んでみたい。

言葉に経年変化がある以上、 ・僕が読んだ感覚と、 ・山本さんの妻、モジミさんが読んだ感覚には、 変わらない点もあるが変わっている点もあるんだろうなと。

ここに、想像を駆り立たせるギミックが働く。 この手紙の文字の一つ一つが、一才の濁り無く、その人の生き言葉として、届いたんだろうなぁと思うと…。

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さて、書き手(主体)はどんな気持ちだったのだろう。

“残さないと意味がない。 ロシア語で書くか? いや、ロシア語なんかで書きたくない。 そもそも、何を書いていいかわからない。 これが最期、やはり日本語で書こう。”

博識な方といえども、心身ともに限界を当に超えている頭に「思考」の余地なんてほぼ皆無と言って良いでしょう。 誤魔化しようのない、全てが一瞬の決断です。

故に、手記にあるその文字たちは、その人の頭から何があっても拭い去られることのなかったものたちだと、素直に受け止めることができます。

自分があらゆる方向から蝕まれようとしている、並の人間では受け止めきれない苦痛に塗れた地獄のなかで持ち続けた言葉だと。 この手記を持って、この人の頭の中を生捕りしたようなものです。

そこに並ぶ文字たち、 「残念」「健康」「幸福」「文化」「親不孝」「よくやった」「感謝」「思想」「人類」「博愛」「正義」「暗誦」…。

そのときの山本さんの全部だと思うと…。 午前中から涙が止まりません。

文字こそ全て。 僕はどんなことがあっても書き続けようと思いました。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n92f8bbc0cf8a 公開日: 2023-04-03 17:00

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