星と影のレクイエム

星と影のレクイエム

こんばんは、都築怜です。 窓から見える夜空は、少し雲が流れていますね。今日も一日、お疲れさまでした。深夜のこの時間、あなたはどんな思いで過ごしていますか。私は先ほど、部屋の照明を少し落として、温かい紅茶を入れました。カップから立ち上る湯気が、ぼんやりとした光の中で踊っています。

日中は忙しなく過ぎていきますが、こうして静かな夜の時間になると、ふと立ち止まって自分の内側に耳を傾けたくなります。日々のささやかな出来事や、忘れかけていた思い出が、静かに浮かんでは消えていく。そんな夜のひとときを、音楽とともに過ごせたらと思います。

今宵最初の一曲です。エスペランサ・スポルディング「リトル・フライ」。

https://open.spotify.com/intl-ja/track/6qaUMIsszU1uEdfYNjUaAK?si=c0590b3a452d4d61

先日、古い手帳を整理していたときのことです。数年前に書いた自分の文字を見つけました。「明日は早起きして図書館へ」というメモの横に、小さなビックリマークが付いています。当時の自分は、早起きするという決意にわざわざ驚きのしるしを添えなければならないほど、朝に弱かったのでしょう。

思えば、私たちは自分自身に対して、様々な「こうあるべき」という基準を持っているものです。早起きできる自分、効率的に仕事をこなせる自分、穏やかに人と接することができる自分…。そして時に、その基準に届かない自己の姿に、少しがっかりすることもあります。

でも、不思議なことに、誰かのために何かをするとき、普段の自分を少し超えられることがありますよね。それは愛情かもしれないし、責任感かもしれません。あるいは単に、誰かに見守られているという安心感なのかもしれません。

でも、不思議なことに、誰かのために何かをするとき、普段の自分を少し超えられることがありますよね。それは愛情かもしれないし、責任感かもしれません。あるいは単に、誰かに見守られているという安心感なのかもしれません。

https://open.spotify.com/intl-ja/track/3XZN4wXwG2o0OadHWExzPr?si=fe4e77c1b6b348a1

先ほどの曲を聴きながら、ふと思い出したことがあります。学生時代、友人と二人で長距離走の練習をしていたときのことです。一人で走るときは3キロが限界だった私が、その友人と走ると5キロまで走れることに気づきました。不思議に思って友人に「どうして一緒だと長く走れるんだろう」と尋ねたことがあります。

友人は笑いながら「俺も一人だと3キロしか走れないんだよ」と答えました。お互いに相手がいるから頑張れる。そのとき私は「自分の本当の力ってなんだろう」と考えたものです。一人で発揮できる力が真の力なのか、誰かと共にいるときに出せる力が真の力なのか。

私たちは時に、「一人でどれだけのことができるか」を自分の価値のように考えてしまうことがあります。けれど、人は誰かと関わり、影響し合いながら生きている存在です。誰かのために頑張れることも、誰かに支えられて頑張れることも、私たちの大切な一部なのかもしれません。

静かな夜に寄り添う、次の曲です。ゴンサロ・ルバルカバ「ベサメ・ムーチョ」。

https://open.spotify.com/intl-ja/track/5r2N93cHAoumVy5CqyfWhX?si=5a820e2787e04b57

今宵のひとときです。

夜が深まり、星々が静かに瞬いています。心の中で繰り返し考えることは、形を変えながらも私たちの内側に残り続けるものですね。一人でいるときの自分も、誰かといるときの自分も、どちらも真実の姿なのでしょう。そして私たちは、その両方を抱えながら日々を過ごしているのかもしれません。

深夜のひとときを共にしてくださり、ありがとうございました。また別の夜に、別の物語でお会いしましょう。都築怜がお送りしました。おやすみなさい。

やや天邪鬼な発想かもしれないが、思ってしまったことを正直に書いておきたい。好きな人のことを考えると、普段より頑張れる。これは世界の真理である。一方で、自分一人だけで頑張れたことまでがその人の頑張れる実力だということもまた、世界の真理だ。なので、好きな人のために頑張るとか言って、普段より頑張れたことを経験すると、「素だとこんなに頑張れないのか」と自分に幻滅をしてしまうことがあるのだが、これは共感してくれる人いるのかな。自分一人で頑張れた量がx、好きな人のために見たいなこと込みで頑張れた量がy。このとき、yとxの差分の大きさをなるべく小さくしたいと考えてしまうのだ。もちろん好きな人の存在は非常にありがたいのであるが、好きな人が好きでいてくれている自分であるために、もっと頑張らなければと思ってしまうのである。そのためには、好きな人に頼ったyの頑張りではなく、xの頑張りの量をいかに増やすかを、独り身のときより意識するようになるのである。皮肉な話だ。

都築怜


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n2fea9dcd05e2 公開日: 2025-03-13 18:00

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