映画とNetflixの違い
映画とNetflixの違い
映画館を出た瞬間、現実世界の重さが一気に押し寄せてきた。暗闇の中で2時間、別の世界に没頭していた私の目は、ロンドンの街の喧騒にゆっくりと順応していく。Notting Hill Gateの人混みの中、私は立ち尽くしていた。
「映画の余韻に浸りたいんだけど、すぐに現実に引き戻されてしまうんだよな」と、隣にいたGeorgeに呟いた。彼は軽く肩をすくめ、「それが映画の魅力じゃないのか?一時的な逃避と、そこから戻ってくる感覚」と返す。
私たちは歩き始めた。夕暮れ時のPortobello Roadは、まだ活気に満ちている。古着屋の前では若者たちが笑いながら服を選び、パブからは陽気な声が漏れ出ている。その光景は、つい先ほどまで見ていたスクリーンの世界とは明らかに異なる。
「でも、George」と私は言葉を続けた。「映画には何か特別なものがある気がしないか?サウナよりも効果的な何かが」
Georgeは眉をひそめ、「サウナ?どういう意味だ?」
私は言葉を選びながら説明を始めた。「人間の悩みやストレスは、ほとんど頭の中にあるものだろう。サウナは体に刺激を与えることで頭を空っぽにする。でも映画は、頭を別のもので満たすことでリフレッシュさせる。そういう意味では、鼻うがいに似ているかもしれない」
Georgeは笑いながら、「君の比喩はいつも面白いな。でも、言いたいことはわかる気がする」と言った。
私たちはPortobello Green Arcadeに差し掛かった。ここは若手デザイナーのブティックが並ぶ、知る人ぞ知る場所だ。ショーウィンドウに映る自分たちの姿を見ながら、私は考えを巡らせた。
「映画の中の人物たちは、現実の私たちよりもずっと明確な目的を持っているように見える。彼らの行動には常に意味があり、無駄な時間がない」と私は言った。「でも、現実の私たちはそうじゃない。今この瞬間も、特に目的もなくぶらぶらしている」
Georgeは立ち止まり、真剣な表情で私を見た。「それが映画と現実の決定的な違いなのかもしれないな。映画は凝縮された人生だ。でも現実は…」
「もっとぼんやりしていて、曖昧で、予測不可能」と私が言葉を継いだ。
夜の空気が少し冷たくなってきた。The Queen’s Foxが見えてきたところで、Georgeが「一杯どうだ?」と提案した。私は頷き、パブに入った。
カウンターに座り、ギネスを注文しながら、私は今日見た映画のことを思い返していた。主人公の決断の瞬間、恋人たちの再会、予想外の展開…それらは全て、現実よりもずっとドラマチックで意味深いものに感じられた。
「でも、」と私は思った。「現実にも、映画には及ばないような深さがある」
ギネスの泡がゆっくりと落ち着いていくのを見つめながら、私は気づいた。映画と現実、その両方に価値がある。映画は私たちに別の可能性を見せてくれる。そして現実は、その無限の可能性の中で、私たちが実際に選択した道を歩ませてくれる。
「乾杯」とGeorgeが言った。「素晴らしい映画と、それ以上に素晴らしい現実に」
グラスを合わせる音が、パブの喧騒の中に溶けていった。
Atogaki
何かが圧倒的に違う。両者は圧倒的に別種のものである。映画にはある種のリフレッシュ効果、サウナに似た効果がある。というか、サウナよりいいのかもしれない。というのも、人が感じる悩みやストレスといった類のものは全て頭にあるものだ。そこに対して体に刺激を与えることで頭を空っぽにしていくサウナに対して、映画は、別のもので頭を満たすことによってリフレッシュ効果を与えている。その意味で、鼻うがいにも似たような快感が得られるのである。
都築怜
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/nac8f584b2c5e 公開日: 2024-08-27 18:00
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