映画の中の私、街の中の映画
映画の中の私、街の中の映画
薄暗い部屋に、フィルムプロジェクターの光が揺らめいている。『軽蔑』の最後のシーンが壁に映し出され、ブリジット・バルドーの表情が静かに消えていく。深呼吸をして、ゆっくりと目を開ける。ゴダールの映像美に浸りきった後の、あの独特の余韻。現実世界に戻るのが惜しい気持ちと、何か新しい発見をした高揚感が入り混じる。
窓の外では、ロンドンの夕暮れが始まっている。アーンドル・スクエアの木々が、オレンジ色の空を背景に影絵のように浮かび上がる。ふと、『軽蔞』の中でカプリ島を映していたショットを思い出す。あの鮮やかな青と、今目の前にある柔らかなオレンジ。映画と現実が、頭の中で不思議なコラージュを作り出す。
立ち上がって伸びをすると、体のあちこちがきしむ。何時間映画に没頭していたんだろう。時計を見ると、もう7時を回っている。そういえば、今夜はGeorgeとチェスの約束をしていたんだった。彼のような成功者が、僕のようなフリーランスライターと時間を過ごすのを不思議に思うこともある。でも、彼との会話は常に刺激的だ。特に最近は、彼の中にある変化を感じている。
パソコンの電源を入れると、画面にGeorgeからのメッセージが表示された。「今日のチェス、オンラインでどうだ?新しい仮想通貨の案件でちょっと時間がなくてな」。少し残念だが、彼の忙しさは理解できる。「了解、じゃあ9時からRoomsで」と返信する。
キッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。中にはYukaが作ってくれた味噌汁とおにぎりが入っている。彼女の料理は、いつも故郷を思い出させてくれる。電子レンジでチンしながら、ふと『call me by your name』の食事シーンを思い出す。映画の中の食事は、単なる栄養摂取以上の意味を持つ。それは、人々をつなぎ、物語を進める触媒のような存在だ。
味噌汁を啜りながら、窓の外を見つめる。ノッティングヒルの街並みが、夜の闇に溶けていく。街灯が次々と灯り、まるで『シネマ・パラディソ』のラストシーンのように、光の点が増えていく。映画は、現実を切り取ると同時に、現実に新たな意味を与える。それは、日常の中に潜む詩を見出す技術なのかもしれない。
おにぎりを頬張りながら、パソコンに向かう。今日見た『軽蔑』についての記事を書こうと思う。でも、どこから始めればいいだろう。映画の技術的な側面?それとも、物語が提示する哲学的な問い?言葉にしようとすると、あれほど鮮明だった感情や思考が、どこか遠くに行ってしまったような気がする。
指をキーボードの上で漂わせる。最初の一文が、なかなか出てこない。ふと、Dr. Goldsteinの言葉を思い出す。「言葉にできないもの、それこそが本当に大切なものだ」。そうか、完璧に表現しようとするから言葉が出てこないのかもしれない。
深呼吸をして、もう一度指をキーボードに置く。今度は、頭で考えるのではなく、心で感じるままに書いてみよう。「映画は、私たちの人生の断片を映し出す鏡であると同時に、まだ見ぬ可能性を映し出す窓でもある」。
その一文を書いた瞬間、何かが溢れ出すように言葉が紡ぎだされていく。映画への愛、芸術としての深さ、そして日常との不思議なつながり。それらが、画面の上で踊り始める。
気がつけば、時計は9時を指している。慌ててチェスのアプリを立ち上げると、すでにGeorgeが待っていた。「おい、遅刻か?映画でも見てたのか?」。彼の冗談めいた質問に、思わず笑みがこぼれる。
「ああ、映画を見てた。そして、人生について考えてたよ」と返す。画面越しでも、Georgeの表情が柔らかくなるのが分かる。「それは面白そうだな。じゃあ、この対局を、君の人生の新しいシーンの始まりとしようか」
駒を動かしながら、今日見た映画のことを話し始める。チェスの盤面が、まるで映画のフレームのように思える。そこには、無限の可能性が詰まっている。そう、人生も、映画も、チェスも、全て繋がっているんだ。
夜が更けていく。窓の外では、ロンドンの夜景が、まるで『ブレードランナー』のように輝いている。明日はまた、新しい一日が始まる。きっと、また新しい映画のような瞬間が待っているはずだ。そう思うと、胸が少し高鳴る。
ベッドに横たわりながら、今日一日を振り返る。映画は、確かに素晴らしい。でも、それ以上に素晴らしいのは、映画を通して見える、この現実の世界なのかもしれない。目を閉じると、まるで万華鏡のように、今日見た映像と現実の風景が、美しく混ざり合っていく。
Atogaki
過去には映画が嫌いだと言ってみたり、まぁ今思えば遠回りな人生だと思うが、映画は本当に素晴らしい。僕は、あんまり言葉で表現できる筋書きが好きじゃない。その映画の面白さを「説明してる映画」があまり好きじゃないのだ。言ってしまえば、「きっとお金を集めるとき、大変だっただろうな。上手いプレゼンができないもんな」と思ってしまうような映画の方が好きだ。あと、映画のための映画も好きじゃない。そもそも塾講師のための塾講師が嫌いだからね。あくまでも生徒を魅了し育て合格させるなかで、それでもなお袖に他の塾講師を集めてしまう講師こそ本物だと信じてる。僕が好きなのは、映像の中で作られた世界観みついなもの。意図したもの、あるいは意図せず入り込んだもの、とが組み合わさって、その作品の空気感を醸成されていると思うのだが、そこのうねりみたいなものを追っていくのが好きだ。その意味で、この前見たジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』とか、今先ほど見終わった『call me by your name』とかは素晴らしいと思う。
都築怜
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n6ed79735fa5e 公開日: 2024-09-12 18:00
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