時限性の塵は積もらない
時限性の塵は積もらない
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*現在mediumからnoteへの移行中につき、記事の全文を無料公開しています。なお、こちらの記事は2021年9月6日に書かれたものです。 (ちょいと修正しました)
塵も積もれば山となる、ということわざがあります。高い共感性からか、令和の今もなお、様々な例で解釈を耳にしますが、ときに過ぎた例に出くわすことがあります。
時間の「ちりつも」
トイレの時間を30秒短くする、大学の教室まで少し早く歩く、こうして1分1秒の時間を節約すると、1日で1hの時間を作ることができました。
確かに、その通り。 1日という時間をタイムラインパネルに数直線として配置、そのなかでトリミングしてきたわずかな時間たちを繋ぎ込む発想は確かにあっても良いかもしれない。 これぞ、積もった塵を山に見せる真骨頂。 ただ、ここから大いに現実から逸脱し始めることがあります。
1hも時間に余裕ができたら何ができますか?愛する彼女にプレゼントを買いに行く時間ができます
「時間のドラッグ移動」は現実では許されません。 ここに現実と思考実験との線引きがあることを強く強調したい。 いくら僅かな時間を節約し続けてきたとて、決して一日の終わりに自分の目の前にドカンと「1h」というご褒美が用意されるわけではないのです。
現実には、30秒1分の切れ端の時間に過ぎず、そのときの今消費せねばならない時間なのです。表参道にネックレスを買いに行くことはできないのです。授業が始まるまであと10分の余裕があるからとて、10分早く開始のベルが鳴ってくれることはないのです。
なぜ時間を「溜める」発想があるのか
では何故、先に説明したような思考実験の発想が散見されるのでしょう。 共感する人がいるから、伝えたくなるし、伝わりやすいわけです。
僕は「受験」に端を発しているような気がします。何故ならば、こと受験においては、塵を積み上げることができるからです。
50分間という試験時間、時間を切り詰めれば切り詰めるほど、ぽたぽたと水滴がビン底に集まっていくように、後ろに時間を貯蓄することができます。全部の問題をあらかた解き終わって5分余った、10分余ったというのは、その水滴が一口分になったようなもの。
切り詰めて節約した時間を後で消費することが可能なのです。
そう思うと、先の思考実験も面白いなと思います。試験科目「1日」、試験時間24時間、ということでしょうか。 僕も貴方も受験生、明日も頑張りましょう。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n2e9c631cd6a0 公開日: 2022-02-17 21:00
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