柔と剛
柔と剛
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僕の師匠、ミランダ・カー先生がインタビューで「瞑想するときは柳の木のようになることをイメージする」って言っていた。
あれぞ、柔と剛ですよね。素晴らしい、さすが師匠。
肌、というのは面白く、毎日全く同じ手入れをしているつもりでも、悪くなったりする。 正確にいうと、全く同じ、というのは本当はなくて、その日の気温、湿度、服装、汗の量、ワックスの量、付着する埃の量とか、シャワーの流しかたとか、温度とか、塗り薬&オイル&クリームの量とか、それぞれを肌に影響を及ぼす変数と捉えると、キリがない。 精神状態とか、そんなこともいれ出したら本当に無数にある。 その意味で、何かが0.1%ずつ違うだけで、まるっきり違う今日を生きていることになる、とも言えるのだけれど。
もう少しマクロで見たときに、 お風呂に入る。悪くなってるところにこの薬を塗ってから、オイル塗って、クリーム塗る。 みたいなことを欠かさずやるとして、自分としては同じことをやっているつもりなのだけれど、たまに朝おきたときに、顔が真っ赤に腫れ上がっていることも。 すると出勤前に、冷たい枕?みたいな常に冷凍庫入れて置いてるやつみたいなのを顔に当てて、腫れをひかせたり、みたいな羽目になる。
自分の体で持って、文字通り「痛いほど」理解しているのが、 「欠かさずこれをする」なんていうようなルーティンにこだわっていちゃいかん、ということです。 なぜなら、人生にはハプニングとかアクシデントがつきもの。 毎日定時に上がれるわけじゃないじゃないですか。 「今日飲み行く?」なんて言われて、Yesかハイしかないなんて状況だってあるし。 そのとき、ルーティンが壊れることもあります。 僕は朝起きたら毎日レモン白湯を飲みますが、例えば前日が遅かったりして、起きるのが遅かったときは、その余裕が取れないこともありますよ。
そんなときに、レモン白湯が飲めなかった、ということを悔いても仕方がないと思うんですよね。 別に飲めなくても死ぬわけじゃないし。 そういうところにこだわりを持ちすぎちゃうと自分どころか、他人も許せなくなってしまいます。
だから、柔軟に対応することが大切。 例えば、絶対にパックしないと肌が終わる、なんてことは僕はないと思っている。 絶対、という言葉は作業系のことに使うべきではない。
剛の部分、何を絶対とするか、という部分はもう少し、内側というか、目に見えないところで持つべきと思う。 僕にとって肌は悪すぎる状態にしないこと。 ずっとプラスの状態を保つことは無理だけど、行き過ぎるマイナスを防ぐ、というようなゴールがそのとき達成できていれば良いのです。
柔と剛、という感覚を持ちながら生きていたいなと思う。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n70a0322fab16 公開日: 2023-04-28 17:00
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