森のなかのいろいろなみち
森のなかのいろいろなみち
むかしむかし、おおきな森のはじっこに、小さな村がありました。
村には、ふたりの友だちが住んでいました。 クマのトントンと、キツネのリンリンです。
トントンは いつも まっすぐな道を あるくのが すきでした。 「まっすぐな道が いちばん はやいんだ」
リンリンは くねくねした道を あるくのが すきでした。 「くねくねした道には おもしろいものが いっぱいあるの」
ある日、村の長老ミミズクが おふたりを よびました。
「村の おまつりに ひつような 月の花を とってきてくれませんか? 森のむこうがわの 月の丘に さいているそうですよ」
トントンとリンリンは、おおよろこび。 「おまかせください!」
でも、ふたりは すぐに もめはじめました。
「まっすぐな道を いくべきだよ。はやくつくし あんぜんだもの」 「でも くねくねした道なら たのしいよ。いろんな発見があるよ」
ふたりは どうしても わかりあえません。
ミミズクは ふたりを みて、にっこり わらいました。 「どちらも すてきな道ですね。それぞれの道で 行ってみては?」
そうして トントンとリンリンは それぞれの道へと むかいました。
トントンの まっすぐな道は ひらけていて あるきやすかったです。 地図を みながら、トントンは てきぱきと あるきました。 時々、道ばたの石につまずいたり、急な坂をのぼったりしましたが、 トントンは 「これが いちばんの近道だ」と しんじていました。
リンリンの くねくねした道は、たくさんの まがり角がありました。 小川をわたったり、木のうえを とんだり、花畑をぬけたり。 時々、どっちに いけばいいのか わからなくなることもありましたが、 リンリンは 「この道の ふしぎが たのしいわ」と わくわくしていました。
そして ひがくれる ころ。
森のむこうがわ、月の丘のうえで、 トントンとリンリンは ばったり出会いました。
「えっ、もう ついたの?」 「きみも ついたんだね?」
ふたりは おたがいの ぼうけんを はなしました。
トントンは、急な坂で出会った小さなリスが教えてくれた月の花の見分け方。 リンリンは、まがり道で見つけた七色の石と、そこで助けたカエルの親切。
ふたりは おたがいの はなしに 「へぇー!」と 目をまるくしました。
そして ふたりは がけのうえから、自分たちがあるいてきた道を みました。 トントンの まっすぐな道も リンリンの くねくねした道も どちらも 月の丘に つながっていました。
「ぼくの道は はやかった」 「わたしの道は たのしかった」
そのとき、月が のぼりはじめ、丘いちめんに 月の花が かがやきはじめました。 銀色の花びらが、トントンとリンリンを やさしく てらしました。
ふたりは いっしょに 月の花を つみました。
帰り道、トントンは こっそり リンリンに ききました。 「きみの道も すこし あるいてみたいな」
リンリンも にっこり わらって いいました。 「わたしも トントンの道を あるいてみたいわ」
村にもどると、みんなが おまつりの じゅんびをしていました。 ミミズクは ふたりが もってきた 月の花を みて よろこびました。
「どちらの道を とおってきたのですか?」
トントンとリンリンは おたがいを みて、そして いっしょに こたえました。 「いろいろな みちを とおってきました」
その夜の おまつりは、いままでで いちばん あかるく かがやきました。
月の花と おなじように、いろいろな みちが、 同じ 場所へと つづいていることを、 村のみんなは 忘れませんでした。
おわり
頭良さげな人に多いが、考え方のフレームワークあるいは意思決定スキームを、チーム内で揃えようとしがち。これは非常にダサい。この感じをカップル、あるいは夫婦の関係に持ち込もうとするのはもっとダサい。旦那はきっと何が間違っているのかわからないだろうし、妻はきっとなんでわかってくれないの、と思うだろう。たしかに旦那さんの気持ちもわかる。あなたの話す考え方のフレームワークは正しいのかもしれない。しかし、その正解はあくまでも「one of them」であることを忘れてはならない。なにもそれだけが正しいわけでもないし、他の考え方が間違っているわけでもない。僕は、考え方や思考のフレームワークを、スポーツの種目のようなものだと思っている。例えばサッカー部の人間と野球部の人間で喧嘩になったとき、サッカー部の人間が「ほんならサッカーでケリつけようや」と言ってきたら野球部の人はどう思うだろうか。誰かと対話するとき、「自分と相手は違うスポーツをしている」ということへの理解があるかどうかは非常に重要だ。そして、自分の行っているスポーツだけでは理解しきれない”何か”があることを懸命に想像し、理解しようとする姿勢を決して忘れてはならない。仮に、自分のサッカースタイルがセリエAレベルにイケている自負があったとして、そしてまた相手の野球レベルが草野球レベルだったとしても、競技が違う以上、自分の思考領域で抱合し得ることは断じてない。 意思決定は総合力が試される。そのときに、チームメンバーが全員サッカースタイルの思考を持ち合わせていた場合、判断に偏りが生まれる可能性がある。チームには、野球が強い人、ボブスレーが強い人などなどがいるべきで、みんな寄ってたかって、議論を重ねるべきだ。もちろん、サッカーに打ち込む人だけで集まった方が、共感は生まれやすいし、意思の疎通は早いだろう。サッカーと野球は、言ってしまえば英語と日本語みたいなもので、同じスポーツといえど違う競技であって、そこにある文化や人間的な成長のベクトルは大きく異なる。互いを理解するには時間はかかる。でも、そもそも誰かを理解するとはそのくらい難しいことだと理解するべきだと思うのです。対話は避けられないのです。早く簡単に意思決定をすることは目的ではないから。 だから、考え方はむしろチームでバラバラな方が良い。アーティスティックな考えをする人、ロジカルな考え方をする人、いろんなタイプがいた方が良い。これはカップルにおいてもそう。相手には相手の考え方がある。必要なのは、意思決定に対する合意だけ。そこまでの思考の道のり・考え方は揃えなくて良いのだ。いや、揃えない方が良い。だって、1本の同じ道を2人で歩いて辿り着いた場所が正解だなんて、誰がどう言えるだろうか?互いにバラバラの全く違う道を歩いてきた先、たまたま同じ場所に辿り着いた。そこにあるものこそ、真実だろう?
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/ndf5d5bf885f1 公開日: 2025-03-19 18:00
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