深き夜の交信

深き夜の交信

こんばんは、都築怜です。窓から見える空は今夜も深く、星がかすかに瞬いています。季節の変わり目、窓を少し開けて外の空気を部屋に取り込むと、昼間の名残りの温かさと夜の冷たさが不思議に混ざり合っています。そんな空気を感じながら、今宵もゆっくりとお時間を共にできたらと思います。

日が落ちてからの時間には独特の質感があります。昼間の喧騒が遠のき、自分自身の内側の声が少しずつ聞こえてくる。そんな感覚を覚えることはありませんか。私はよく、この時間に一日の出来事を反芻しながら、ふと思いがけない考えに出会うことがあります。それは時に心地よく、時に少し切なく、でもどこか大切なものに思えるのです。

今夜の最初の一曲です。チェット・ベイカー「My Funny Valentine」。

https://open.spotify.com/intl-ja/track/4l9hml2UCnxoNI3yCdL1BW?si=00a445391eb14c48

静かな音楽の余韻が部屋に満ちていくようです。先日、古い友人と電話で話していたときのことです。お互いの近況を語り合った後、ふと沈黙が訪れました。けれど、その沈黙は不思議と居心地が良かった。長い付き合いの中で育まれた信頼関係があるからこそ、無言の時間さえも心地よく感じられるのだと思います。

人との関係性というのは不思議なもので、言葉を交わさなくても確かに存在する何かがあります。それは目に見えないけれど、確かに感じることができる。そういった関係性の中では、言葉の隙間にある表情や仕草、声のトーンなど、言葉以外のコミュニケーションが豊かな意味を持つことがあります。

そう考えると、長く付き合う人との間には、言葉だけでは語れない独特の空気感が生まれてくるものなのかもしれません。

次の一曲です。マイルス・デイビス「Blue In Green」。

https://open.spotify.com/intl-ja/track/0aWMVrwxPNYkKmFthzmpRi?si=c1140605013e4299

人との距離感について考えることがあります。近すぎず、遠すぎず。その絶妙なバランスを見つけることは、実は生きていく上での大きな技術なのかもしれません。あまりに近すぎれば息苦しくなり、遠すぎれば寂しさを感じる。

車の運転を習い始めた頃のことを思い出します。インストラクターから「ハンドルには適度な遊びが必要だ」と教わりました。あまりに固く握りすぎると、小さな路面の変化に過剰に反応してしまう。かといって、緩すぎればコントロールを失う。その絶妙な「遊び」の感覚をつかむのには時間がかかりました。

人間関係も、どこかそれに似ているようにも思えます。互いを尊重し合う関係の中にこそ、適度な「遊び」があって、それがかえって関係を豊かにしてくれるのではないでしょうか。信頼という土台があるからこそ、その上に築ける自由な表現や交流があるのだと思います。

次の曲です。エラ・フィッツジェラルド「How High The Moon」。

https://open.spotify.com/intl-ja/track/2cvztQuBIxwV38kg1Ydaww?si=bed96f850b6744ed

深い夜の静けさの中で、こんな言葉が心に響くことがあります。人と人との間に育まれる信頼関係というのは、実はとても贅沢な宝物なのかもしれませんね。夜が更けていきますが、どうか穏やかな気持ちで眠りにつけますように。

自分が色気を纏うこと、あるいは相手の色気を歓迎することは、ハンドルの遊びのようなものとして心得たい。切羽詰まった心許ない関係では相手の色気を気持ちよく歓迎することが難しいだろう。確固たる信頼関係、さらにいえば、その信頼関係の下に確かな尊敬があるから、それを遊びとして認識し、互いに豊かに成長させていくことに歓びを見出すことができるのだと思う。そんな関係の2人に宿るのは途方もない贅沢なのである。そして、n億円積んでも買えない贅沢は、オセロの四隅のような本源的な強さを放つ。この手の強さを手にすると強い。

都築怜


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/na90858fe2612 公開日: 2025-03-11 18:00

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