精神の超回復論 - 痛みという名の贈り物

精神の超回復論 - 痛みという名の贈り物

自分と向き合うことは酷く痛みを伴う。

でもこの痛みを感じることで、自分が変わっていく。

これを俗に成長というのかもしれないが、あまりその言葉は使いたくない。だって、自分が成長しているなんて勘違いしたくないから。

あくまでも変化。人は成長せず、変わることしかできないというのが、僕の信じていることの1つ。

とはいえ、変わることのなかにも、変わった後で結果として観測される変化の性質は確かにあるとは思う。それを成長と思うかどうかはその人の判断。

トレーニングにおいて重要なのは、運動、食事、睡眠の3つのバランスをとることだ。

それぞれは名詞であって、これらを動詞に変えてみるとすれば、追い込むこと、栄養を取ること、休むこと、と言えるだろう。

これと同じことが、精神においても言えると考える。

自らを精神的に追い込むことも時には必要である。痛みを伴うだろう。

こうして、まるで筋肉に傷をつけるように、精神にも多少の傷を与えることは僕はあっていいと思う。

たとえば、僕なんかでいえば、咄嗟に言いたい英語が出てこないシーンが山ほどあって、その度にもどかしさ、そして悔しさを感じることがある。にこやかに聞いているだけになってしまっていたりする自分が恥ずかしい。

しかし、精神的なプレッシャーだけを与え続けていては、肉体でいうオーバーワークである。トレーニングと同じように、精神に栄養分を与え、そして、休むことが極めて重要だ。こうして、精神の超回復が行われる。

じゃあ、精神にとっての栄養分、あるいは休むことってなんだろうか。

一旦僕はこう考えている、というのが、栄養分については本を読むこと。他の手段でもいいが、何か考える手段や発想を得ることだ。

次に、休むことは、もちろん睡眠もあると思うが、他のことに没頭することだ。

Body & Soulだ。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/na6aa63b3c970 公開日: 2024-10-27 14:00

This line appears after every note.

Notes mentioning this note

There are no notes linking to this note.


Here are all the notes in this garden, along with their links, visualized as a graph.