絵本『かがやくところ』
絵本『かがやくところ』
かがやくところ
むかしむかし、あるところに小さな町がありました。その町には「かがやきの木」と呼ばれる大きな木がありました。 木の幹はすこし曲がっていて、枝はいろんな方向に伸びていました。人々は「なんてへんな木だろう」と思っていましたが、まちのまんなかにどっしりと立っていたので、みんな慣れっこになっていました。 その町に、ミオという女の子が住んでいました。ミオは物を集めるのが好きでした。きれいな石、変わった形の葉っぱ、色とりどりの貝がら。 「これはすてき!」とミオは言って、見つけたものをかばんに入れていきました。 ある日、ミオはかがやきの木の下で休んでいると、木から小さな金色の葉っぱが一枚ひらひらと落ちてきました。 「わあ、きれい!」 ミオは葉っぱを拾い上げました。葉っぱは手の中でかすかに光っていました。ミオはうれしくなって、その葉っぱをポケットに入れました。 次の日、ミオがかがやきの木の下を通ると、今度は小さな銀色の実が落ちてきました。実は丸くて、月のように白く光っていました。 「これもすてき!」 ミオは銀色の実もポケットに入れました。 三日目、ミオが木の下を通ると、青い小さな花が落ちてきました。花は星のようにキラキラと光っていました。 「こんなにきれいなものを集められて、うれしいな」 ミオは花もポケットに入れました。 四日目、ミオが木の下に行くと、赤い小さな鳥の羽が落ちてきました。羽は炎のように赤く光っていました。 「すごい!これも持って帰ろう」 ミオは赤い羽もポケットに入れました。 五日目、ミオが木の下に行くと、緑色の小さな石が落ちてきました。石は草原のように緑に光っていました。 「こんなにたくさん集まったよ!」 ミオはにっこり笑って、石もポケットに入れました。 六日目、ミオが木の下に行くと、不思議なことに何も落ちてきませんでした。 「あれ?今日は何もないのかな」 少し残念に思いながら、ミオは家に帰りました。 その夜、ミオは集めたものをテーブルの上に並べました。金色の葉っぱ、銀色の実、青い花、赤い羽、緑色の石。どれも美しく光っていました。 「でも、どうして今日は何も落ちてこなかったのかな」 そう思いながら眠りについたミオは、不思議な夢を見ました。 夢の中で、かがやきの木が話しかけてきました。 「ミオ、明日も来てごらん」 翌朝、七日目にミオが木の下に行くと、木の幹に小さな穴が開いていました。 「これは何かな?」 ミオが穴をのぞき込むと、中は真っ暗でした。でも、よく見ると、遠くの方に何かが光っているように見えました。 ミオはポケットから集めたものを取り出しました。金色の葉っぱ、銀色の実、青い花、赤い羽、緑色の石。 「この中に入れてみようかな」 ミオが一つずつ穴の中に入れると、不思議なことが起こりました。穴から光があふれ出てきたのです。 金色、銀色、青、赤、緑の光が混ざり合い、まるで虹のように輝いていました。 「わあ、きれい!」 ミオが驚いていると、光はだんだん強くなり、やがて木全体を包み込みました。木の葉や枝が光を受けて、キラキラと輝き始めたのです。 町の人たちは光に気づいて集まってきました。 「まあ、なんてきれいなんだ!」 「こんなに美しいものは見たことがない!」 人々は口々に言いました。 その瞬間、ミオは気づきました。彼女が集めたものは、かがやきの木の「かがやき」だったのです。木はミオが集めたかがやきを返してくれたのでした。 そして、より明るく、より美しい光になって。 その日から、かがやきの木はいつも光り輝くようになりました。昼は太陽の光を受けて金色に、夜は月の光を受けて銀色に。雨の日は青く、夕日に染まれば赤く、朝には緑色に輝きました。 ミオはよく木の下に来て空を見上げました。木の枝の間から見える空は、いつもと少し違って見えました。 「集めるだけじゃなくて、戻すこともたいせつなんだね」 ミオはそっとつぶやきました。木の葉がそよ風に揺れて、こたえているようでした。 ミオが大人になっても、かがやきの木は町の真ん中で輝き続けました。木の下を通る人たちは、空を見上げ、しばらくそこに立ち止まり、木のかがやきを見つめました。 木は曲がっていて、枝も不揃いでした。でも、そんなことはもう誰も気にしませんでした。木はただそこにあって、かがやいていました。 それだけで、十分だったのです。 おわり
あとがき
真善美、自分でもよくわかっていない部分は多いが、それでも、何に比重を置きたい自分でいたいか?と問われれば、僕は間違いなく「美」と答えるだろうし、きっと三島由紀夫もそうであろう。
この世界あるいは宇宙はただあるだけ。そこに意味はない。人生に意味なんてないし、逆に言えば「意味がない」という意味をつける必要もない。ただ、自分の人生がひとつ、「ある」だけだ。それ以上でもそれ以下でもなく、「だからどう生きようが勝手」とか言い出す人は嫌い。人生がただ存在することは、何かの結論を導くことの根拠ではないからだ。あることを感じ、味わうことしかできない。ただせめて、自分の人生が”ある”という実感をしゃぶり尽くす感覚は持っておきたい。それは僕にとっては極めて美しく尊いものである。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n749932bac7d1 公開日: 2025-03-26 18:54
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