絵本『まいにちのどうぶつえん』

絵本『まいにちのどうぶつえん』

まいにちのどうぶつえん

むかし むかし あるところに、小さな どうぶつえんが ありました。 そこには いろんな どうぶつたちが くらしていました。

ライオンの ゴロー、キリンの ノッポ、ゾウの ドン、 そして おさるの チャッピー。

みんな なかよく くらしていましたが、 チャッピーだけは いつも あさが にがてでした。

「おはよう、チャッピー!」と ゴローが あいさつしても、 チャッピーは ぶすっとして こたえません。

「あさごはん たべよう!」と ノッポが さそっても、 チャッピーは ふんぞりかえって しらんぷり。

「おひさまが きれいだね」と ドンが いっても、 チャッピーは かおを しかめて むこうを むきます。

ある日、どうぶつえんに 新しい なかまが やってきました。 名前は リリー、かわいい コアラでした。

リリーは とても ねぼすけで、 いつも あさは めを こすりながら でてきました。

でも ふしぎなことに、リリーは いつも にこにこ わらっていました。

「おはよう、みんな。すてきな あさだね」 リリーは あくびを しながらも、あたたかい えがおで あいさつします。

チャッピーは ふしぎに おもいました。 「どうして リリーは あさから にこにこ できるの?」

ある あさ、チャッピーは リリーに こっそり たずねました。 「ねえ、リリー。きみ、あさ ねむいのに どうして ごきげんなの?」

リリーは ちょっと かんがえて、それから やさしく わらいました。 「わたし、おおきな ひみつを もってるの」

「ひみつ?」チャッピーの めが ひかりました。

「ねぼうして あわてちゃう ときも、 ごはんが おいしくない ときも、 あめが ふって さむい ときも…」

リリーは チャッピーの みみに こっそり いいました。 「わたしは いつも おもうの。『これは ちいさな あらし』って」

「ちいさな あらし?」チャッピーは あたまに はてなマークが うかびました。

「そう、ちいさな あらし。 おおきな もりの なかの ちいさな あらし。 あらしは すぐに とおりすぎるの」

チャッピーは まだ よく わかりません。

その日、チャッピーは じぶんの だいすきな バナナを わすれてきました。 いつもなら おこって じめんを たたくのに、 チャッピーは こころのなかで つぶやきました。 「これは ちいさな あらし…」

ふしぎなことに、チャッピーの むねの なかで なにかが ふわっと かるくなりました。

つぎの あさ、チャッピーは また ねぼうしてしまいました。 「もう! おそくなっちゃう!」

でも、はしりながら こころで となえました。 「これは ちいさな あらし…」

するとまた、むねの なかで なにかが ふわっと かるくなりました。

日が たつにつれ、チャッピーは きがついたのです。 リリーの いう「ちいさな あらし」は、 ちいさな こまりごとや いやなことのこと。

そして どんな あらしも、いつかは かならず とおりすぎること。

ある あさ、どうぶつえんに おおあめが ふりました。 みんなの すきな あさの おさんぽも できません。

ゴローも ノッポも ドンも しょんぼり しています。

そのとき チャッピーは げんきよく さけびました。 「みんな、だいじょうぶ! これは ちいさな あらしだよ!」

チャッピーは あめのなかを とびはねて、みんなを わらわせました。 リリーは えがおで うなずきました。

それからというもの、どうぶつえんは もっと あかるくなりました。 あさが きらいな どうぶつは いなくなりました。

ちいさな あらしが くると、みんなで いっしょに 「これは ちいさな あらし!」と おもいだすのです。

そして あらしが とおりすぎるのを まつあいだ、 みんなで たのしく すごすことを おぼえたのでした。

おわり

あとがき

朝、機嫌が悪くなる人が嫌い。

これは大きく2つのレイヤーで語られることであるが、まず最下層にあるのは、「機嫌が悪いことをどう表明するか、コントロールしたいと思う気持ちがあるか」。これがそもそもないなら、やはりその人を好きにはなれない。人は社会のなかで誰かと付き合って生きていくので、機嫌の悪さをそのまま出すことは必ずしも相手にとって気持ちの良いことではない。だから相手のために、どう振る舞えるかを考えたいと思う人であってほしい。別に、無理に笑顔を振りまいて欲しいとは思わない。機嫌が悪くなることは誰にだってある。ここで次の上位レイヤーの話に移っていくが、さっき言ったように、どうしようもないときに機嫌の悪さが表に出ることがあっても仕方がないとは思うのだけれど、「それでイライラするの?」というようなことで機嫌が悪くなっているのを見ると僕は残念に思ってしまう。例えば、朝の多少の遅刻、アレを切らしてる、コレができてない、そんなことは誰だって経験があるだろう。そりゃ遅刻してしまったら急がなければいけないけれど、イライラが表に出てしまうほど心に余裕が持てなくなるほどのことかな?と思ってしまうのだ。個人的には、多少の修羅を潜っていれば、要するに、「より大きなピンチに出くわしていれば」、朝の寝坊程度のことなんかで、余裕を失うことはないんじゃないかなと思うのだ。もっというと、僕は朝の遅刻とかでイライラすることなんてない。そして僕はそんなにすごい修羅を潜ってきたわけでもない。じゃあ、僕よりも潜っている修羅が小さいのかな?なんてと思ってしまうと、非常に残念な気持ちになるのだ。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/nff030521fc41 公開日: 2025-03-27 18:00

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