「自分」をどうデータとして残すか、ということが非常に大切。
「自分」をどうデータとして残すか、ということが非常に大切。
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TBSの「世界遺産」というCANON一社提供の番組をよく見る。
欠かさず見ようとしている数少ない番組の一つだ。 世界遺産って、その作られ方によって3種類に分けられているそうでして。 自然遺産、文化遺産、複合遺産。
超ざっくり、「自然が作ったか」「人が作ったか」「その両方か」ということ。 このとき僕は、人工物系の世界遺産の方が好きなタイプです。
大昔に人が作ったものを見るのが好き。 アートも似たようなもんだけど。
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そのときよく思うのが、「ほぼ今と変わんないな」ってことなんですよね。 例えば、この前イタリアの「コロッセオ」を紹介してましたが、あんなのほぼ武道館じゃないですか。 もちろん内容は多少変わってるかもしれないけれど、「特定の目的のもとに人が多く集まる場所を作る」みたいなコンセプト・概念は何も変わってないように思えるんです。
「0→1」という言葉がよくあるが、「0→1」が本当の意味で実現できていることって今の時代にあんのかな?なんて思うんですよね。
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そう考えたとき、AIに対して、一つの概念の誕生を見届けられているような気がしている。 AIが生まれた、この時代が良かった。 なんて言われている過去が今なのかもしれない。
過去を懐かしむのは逃げ。 時間の淘汰に任せて残ったものが良かったんだと偉ぶるのは誰にでもできる。 雑多でこんがらがってノイズの多い今のなかで、本物を見出せる自分でいたい。
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さて、AI。 AIにどう指示をするのかが大事、という観点はもちろんあって良いが、もっと面白くて本質的なところがあると思っている。 エクセルをどう使うかが大事、iPhoneをどう使うかが大事、と言われているような感じがする。 そりゃそうなんだけどさ。
結局、プロンプトコンサルとか、そういう仕事が生まれたりするんですが、そういうのも、小銭稼ぎにはなるかもしれないけど、それやって面白いの?ってところはある。 だって、そういうのは結局のところ情弱ビジネスに落ち着くわけですよね。 パイが取れないもの。
それよりかは、なぜAIか、なぜ人間か、ということをもっと考えたいのです。 Howばっかにこだわらないで。
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そのとき、人間にできること、人間ができることってなんだろうと。 僕は、ほとんどないと思うのですが、強いていうなら、データを作ること、くらいだと思うんですよね。
晴耕雨読のように、AIの雨模様を確認しながら、農民の僕らはデータを作って何かが実るのを待つと。 だから、種を蒔くように、AIが計算に使うデータを人間が作らないといけないと思うのです。
これは、AIにはできないんじゃないでしょうか。 データなんて山ほどあるだろう、Googleを開けばごまんと出てくる。 いや違う、データになってないことなんて山ほどある。
例えば、僕の毎日の自撮りの写真。 こういうデータはない、そりゃ当然、需要がないんだから。 でも、なんでもバクバク食った方がいい結果になるんですよ、AIは。 だから、今データになっていないことをどうデータにするか、というところを人間は求められていると思っています。
文字にすることもその一つ。 細かな心の動きの全部を文字に注ぎ込むことはできないかもしれないけれど、一面的な部分であっても、文字というデータに落とし込むわけです。
近い将来、お彼岸の時期、というのは、ヒイヒイひいひいひいおじいちゃんからズラーっと「あのときの若かりし頃の状態」でバーチャル的に登場して、みんなで飲み語らうようになるのかもしれない。
僕は、500年後とか1000年後の僕の子孫と、今の僕とで喋りたいのです。 いつか、地球に隕石が落ちてくるかもしれない。宇宙戦争をするかもしれない。そのときに、僕らのような2000年くらいの西暦を生きた古き先祖の知恵も振り絞って協力してみたいのです。 でしゃばんな老害とか言われそうだけど。
だから、顔と、思考と、文字と、残しておきたい。 あと姿も残しておきたい。 人間ドッグ受けるように、定期的に全裸の3Dスキャンとかとっておきたいな。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/nee382abbdb12 公開日: 2023-04-13 17:00
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