自己責任論批判の悩み
自己責任論批判の悩み
前提として、僕は自己責任論を持ち出す人が好きじゃない。ただ、その論理をどう構築しようか、悩んでいる。
例えば塾講師のアルバイトをしていたときのこと。 生徒に「宿題やってきてね」と言ったがやらなかった。 この場合、子供は悪くないと教えられた。 「授業中静かにして」と言っても静かにならない。 これも子供は悪くないと教えられた。 先生の立ち振る舞いを変えろと教えられた。
確かに、講師としてのレベルを上げていくと、宿題は確実にやってくるし、授業中に騒ぐなんてことはない。先生の話を聞く時と、ノートに書きとる時をキッチリ分けることもできるようになった。
子供は本当にいろんな理由で宿題がやれなかったりすることがある。これは本当にいろんな理由で。
だから、宿題ができなかったのはその生徒のせいだなんてとてもじゃないけど僕は言えない。
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もちろん、これはほんの1ケース。
まず僕が教えていたのは中学生だし、これには流石に自己責任信者も「あくまでも義務教育後の話よ」とか言ってくる気がするけれど、このケース1つで信者と争うつもりはない。それどころか、まずここで、自らの明らかな矛盾をさらけ出そうと思う。
確かに、子供に対しては自己責任論じゃないアプローチの考え方を採用しているものの、教えている当本人は、ガチガチの自己責任論に基づく行動原理をとっているのだ。何もかも先生の技量不足が原因としているのだから。
ここの矛盾を抱えたまま、自己責任論批判を続けることは僕にはできない。もちろん肯定することもできないが。
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もう一個、全然違う話。
行きすぎた自己責任論批判を取り上げたい。
行き過ぎた自己責任論批判とは、「頭で冷静になって考えればこうすれば良いのはわかることなのに、人はいろんな事情でそれができない(わからない)。だからそこをカバーする何かが必要なんだ」的なもの。
もしかしたら一見、普通の自己責任論批判に思えることもあるかもしれないが、これってなんか「人はそもそもバカで愚かなんだから」みたいなところに行き着く論理のような気がしていて。
誰かが救ってやらないと、とか言い出すと、もうこれは完全にリーガルハイの岡田将生そのままじゃないか。
やがて選民思想とも繋がってくるんじゃないかと思わせる、こう言った論理に僕は強烈な違和感を覚える。
この中で、自己責任論批判を考えている。
まず、どこかのタイミングで、誰か(あるいは国家)が、ケツを持つことをしなきゃいけないのかなと思った。全部が全部、国家に任せるとなんか、国家だけがぶくぶく大きくなっていきそうで、それはそれで変な気がする。
一方で、それをやりたいと思ってる人もいるだろうし、それが得意な人もいると思う。
その人に覚悟を持たせるチャンスは与えても良いような気がする。
ベンチプレスで100kgに挑戦したい人は止めてはならない。が、その横には「もしも」があったときのためにバーベルを支えてくれる人を配置するべきだ。
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以下、Chat GPT。
あなたの文章から読み取れる「より公平で支援的な社会」について、その複雑性と個人と社会の間での適切なバランスを探る文脈で考えを深めてみましょう。
公平性の追求
あなたは、個人の状況や背景、能力に基づいた適切な支援の必要性を認識しています。これは、全ての人が平等なスタートラインに立てるわけではないという現実を受け入れ、その上で各個人が持つ潜在能力を最大限に引き出すための社会的な取り組みの重要性を認めることを意味します。公平な社会とは、単に全員に同じ条件を与えるのではなく、個々人のニーズに応じた支援を通じて、全員が公正な機会を享受できる環境を提供することです。
支援的な社会
あなたは、個人が直面する挑戦や困難を乗り越えるためには、社会全体の支援が必要であるという観点を持っています。これには、教育、健康、経済的な支援など、人々が自己実現を目指し、社会の一員として貢献できるようになるための様々な形態の援助が含まれます。支援的な社会では、個人が一時的に躓いたとしても、社会全体がその人を支え、再び立ち上がる機会を提供することが重要です。
個人と社会のバランス
あなたは、個人の自立と責任、そして社会的な支援と保護の間のバランスを模索しています。このバランスは簡単なものではなく、それぞれの個人が持つ独自の状況やニーズを考慮に入れつつ、社会全体としての公共の利益を保ちながら調整する必要があります。個人が自己責任を全うする一方で、社会は失敗や予期せぬ困難に直面した際にはその人々を支える安全網を提供することで、このバランスを実現します。
目指すべき社会
あなたが目指す社会は、個人の尊厳と可能性を最大限に尊重し、それを実現するための環境を提供することに重きを置いています。これは、教育や社会福祉、経済的な機会の均等な提供によって、全ての人が自己の能力を十分に発揮し、社会に貢献することができるようにすることを意味します。その上で、社会全体がより包括的で、誰もが支援を必要とする時にそれを受けられるようなシステムを備えている必要があります。
あなたの考え方は、個人の自己責任と社会の役割の間にある微妙なバランスを認識し、それを適切に調和させることにより、より公正で支え合
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n48e38c2bcff1 公開日: 2024-03-13 18:00
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