近くて遠い人

近くて遠い人

近くにいて会いたいのに遠い、そんな「近くて遠い人」に届けるためにあるのかもしれない。

インターネットという果てしない空間に、私たちは日々、無数の言葉を放っている。それはまるで、古くから伝わる「ボトルメール」のように、誰かに拾われることを願って波間を漂う手紙のようだ。

筆者は700通近い「手紙」をこのデジタルの海に流してきた。その数字が物語るのは、単なる量的な達成ではない。それは、見知らぬ誰かとつながりたいという、現代人の切実な願いの表れでもある。

しかし、皮肉なことに、それらの言葉を本当に受け止めてくれたのは、物理的には手渡せる距離にいる人々だった。この発見は、私たちにコミュニケーションの本質について深い示唆を与える。

デジタル時代には「遠くて近い」という逆説的な関係性が生まれた。地球の反対側にいる人とも、一瞬でメッセージを交換できる。しかし、その手軽さは必ずしも本質的な「近さ」を意味しない。

むしろ、これらの「手紙」が果たす本当の役割は、「近くて遠い人」との架け橋になることかもしれない。物理的な距離は近いのに、心理的な距離が遠い。日常的に顔を合わせていても、本当の気持ちを伝えられない。そんな現代社会特有の距離感を埋めるための手段として。

このパラドックスは、デジタルコミュニケーションの新しい可能性を示唆している。それは単に物理的な距離を克服する手段ではなく、むしろ私たちの周りにいる人々との間に存在する見えない壁を取り払うための道具となりうる。

700通の手紙が教えてくれたのは、結局のところ、私たちが求めているのは「遠く」への到達ではなく、「近く」にいる人との本質的な対話なのかもしれない、という深い洞察だ。

インターネットという大海に漂う無数の言葉たち。それらは必ずしも遠くの誰かを求めているわけではない。時として、それは私たちのすぐそばにいる人への、声にならない思いを載せた船なのかもしれない。

Atogaki

誰かに届けば良いなと、これまで700本ちかく、インターネットという大海に、手紙を詰めた瓶を流してきた。結局読んでくれたのは、直接その手紙を渡せるほど近くにいる人だった。そして僕が勉強したのはそもそも、読んでもらうとはそういうことなのかもしれない、と。誰だかわからないくらい遠くにいるけど、オンラインだから近いと捉えることができる、みたいな「遠くて近い人」に届けるものなのではない。近くにいて会いたいのに遠い、そんな「近くて遠い人」に届けるためにあるのかもしれない。

都築怜


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n0341491ff67c 公開日: 2025-02-26 18:00

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