「音楽好き」という生き物が僕は好きだ。

「音楽好き」という生き物が僕は好きだ。

薄暮の光が窓から差し込み、部屋に淡い影を落とす。私は椅子に深く腰掛け、目を閉じて深呼吸をする。The Rosemary Gardenで過ごした午後の余韻が、まだ私の中で静かに響いている。カフェの喧騒と静寂が織りなす独特の空気感、エスプレッソの香りと洗い立てのカップの触感、そして耳に残る会話の断片—全てが私の内側で波打っている。

ふと目を開けると、机の上に置いた懐中時計が目に入る。祖父の形見だ。その銀色の表面に映る夕暮れの光が、不思議と音楽のように感じられる。時計の秒針が刻む音と、外から聞こえる街の喧噪が重なり、独特のメロディを奏でているかのようだ。

私は立ち上がり、窓際に歩み寄る。アーンドル・スクエアの公園では、夕暮れ時の散歩を楽しむ人々の姿が見える。彼らの存在が、この瞬間の現実性を強調しているようで、同時に全てが夢のようにも感じられる。

ふと、カフェで聞いた会話が蘇る。

「音楽ファンって良いよね。だって、音楽を聴くには実際に時間を割かなきゃいけないから。」

その言葉が、私の内側で反響し始める。確かに、音楽は時間そのものだ。それは流れゆく瞬間の連続であり、聴く者の人生の一部となる。本やNetflixのように、倍速で消費することはできない。音楽は、存在そのものを要求する。

私は再び椅子に座り、ノートを開く。ペンを手に取るが、しばらくは何も書かない。ただ、言葉が自然に湧き上がってくるのを待つ。音楽のように、言葉にも独自のリズムがある。それを強制することはできない。

窓の外では、街灯が一つずつ灯り始めている。その光が、私の内なる思考の海を静かに照らしているかのようだ。音楽への没頭と、日々の生活における「時間」の意味について、言葉が少しずつ形を成し始める。

ペンが紙の上を滑り始める。その音が、新たな音楽のように感じられる。書きながら、私は気づく。この瞬間こそ、音楽を聴くことと同じように、私の存在の証なのだと。時間を捧げ、全身全霊で取り組むこと。それは音楽に限らず、人生のあらゆる側面に通じる真理なのかもしれない。

夜が深まるにつれ、街の喧騒は静まっていく。しかし、私の内なる音楽は鳴り止まない。ペンを走らせる手を止め、私は再び窓の外を見る。星々が瞬き始めている。その光の一つ一つが、時間を超えた存在の証のように思える。

私は深く息を吐き出す。この静寂の中で、音楽と人生の本質について思いを巡らせる。それは時間と存在の交差点にあるものなのかもしれない。そして、その交差点こそが、私たちの人生の真髄なのかもしれない。

ノートを閉じ、私は再び懐中時計を手に取る。その重みが、時間の重要性を物語っているようだ。明日も、音楽のように、一瞬一瞬を大切に生きていこう。そう心に誓いながら、私はベッドに向かう。明日はまた新たな音楽が、この街に、そして私の人生に鳴り響くだろう。

Atogaki

音楽ファン(そしてあくまでもファンであることを弁えているファン)は良いなと思う。理由として、音楽は実際にその音楽を時間を割いて聞かないといけないから」限られた人生の時間のなかで、それだけの時間を音楽に割いたことが証明できるから。たとえば本は、人によってはサクッと読んで丸っと理解して1-2時間後にはさもその内容を自分で書いたかのような説明ができる。Netflixも倍速で見る人がいるらしい。が、音楽は違う。倍速再生しても理解できない。絶対的な時間を捧げる必要がある。それだけの時間を割いてきたことに高い確度で信用ができる。だから音楽ファンは良いなと思う。

都築怜


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n62fc0dc9081c 公開日: 2024-08-06 18:00

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