頭の有酸素運動
頭の有酸素運動
一旦また高頻度で書いてみようと思う。
自分のために高頻度で続けるフェーズが終わり、それが誰かのためにしていた行動ではないならば週1に減らしてしまえ、と今までは考えていた。
では、それで読む人が増えたか?そうではない。
誰のためにもならないならば、誰かのためにやる意味がどこにある?せめて自分のためになるやり方を取ろう、と思ったまで。
自分のためになること、このテーマを頭の神棚においたとき、まず浮かんだのはカリステニクスだった。
何かについて考えること。余程の自覚や覚悟がなければ、発信していない限りはモノを考えてないですから。これは自分を見ても他人を見ても思う。
例えば、その景色を本当に意識的に心に焼き付けることができるのなら良いだろうけど、敢えてカメラを構えることで、そのものをより真剣に見ようとする感じが個人的にはあって。
話を戻すとカリステニクス、つまり、定期的に体を追い込むようになってから、自然と体と頭を似たものとして捉えるようになった。何もしないことはなだらかな下り坂を描くのは頭だってそうだろうというのは、自分あるいは誰かの体を見て思うことで。じゃあ何もしないことの反対、何かをすることって、何をすることなんだろう。それは、1つに考えることなのだと思った。考えることは発信すること。じゃあまた高頻度で続けてみようか。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n54393b7abc25 公開日: 2024-12-17 17:00
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