心の奥の奥 閉じ込めてた本当の僕
Aqua Timez『決意の朝に』を聞いていたのは小学生の頃。
当時、僕は地元の小学校のなかでは勉強ができたタイプで、
特に算数では無双していた。
授業中の演習プリントを受け取るや否や、爆速で終えていた。
他のみんなはまだカリカリやっている。
先生は宿題ノートをチェックし始めたばかり。
「もしここで僕がプリントを持っていったら、
さっきノートチェックを始めたばかりの先生は少し迷惑かもしれない。」
「他の先頭集団の子たちが終わるのを待って、
その子達と同じタイミングで出せば、
先生としてもまとめてチェックできるから楽だろう」
なんだか早く終わってしまった自分を恥ずべきような気分にもなって、
僕はプリントの問題が解き終わったあと、
ただ静かに俯いて座っていたことがあった。
誰かが終わるのを待っていた。
今となってはいじらしい思い出の1つだ。
別に終わったら提出すれば良いのにね。
先生は、生徒に課題を与えて、添削するのが仕事だから。
そして生徒は、与えられた課題を解いて提出するのが仕事だから。
https://youtu.be/mLMluQow_TA?si=Nlr6yuNHCvu5Hocb
そう考えてみると、
当時の「先生」と「生徒」の関係は、
今の「僕」と「AI」に似てなくもない。
僕はAI(当時の生徒)に課題を渡す。
AIに解かせている間に、また別のAIに、別の課題を渡す。
AIはひたすら与えられた課題に取り組む。
…いやでも、解く側があまりにも賢過ぎるか。
AIだったら算数の演習プリントなんて、
コンマ何秒の世界で解き終わってしまうもの。
「生徒が課題を解いている時間」が限りなく0に近づいている。
「先生が宿題をチェックできる時間」がなくなっていく。
すると、「課題を与える↔︎解く」のキャッチボールで、
課題を出す側にどうしてもボールが集まってしまう。
現在、仕事におけるほぼ全てのボトルネックが自分にある。
仕事が進んでいないのは、
僕がAIに課題を渡せてないか、
AIの回答をチェックできてないか、
どちらかでしかない。
自分が終わっていないから仕事が進んでいない、
そんな仕事に溢れている。
少し悲劇思考強めかもしれないが、
あえて極端に言うと、いじめられっ子になったようでもある。
僕が中心にいて、僕はAIに取り囲まれている。
常に複数のAIに睨み聞かされて、「まだ終わってないの?」と言われる。
僕は足元に転がったボールを拾っては一生懸命投げる。
でも、投げれば投げるほど、
四方八方から僕の横腹に背中に、
豪速球が飛んでくる。
ボールは転がっている。
また僕はそれを拾って投げる。
拾って投げる。
ただ投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
一方で、AIと仕事するようになって、
仕事の生産性は前より格段に上がった。
そもそも仕事のキャッチボールなんて、
やる気さえあれば、ボールは多少抱えている方が気持ちよく作業できる。
あるものをスパスパっと捌いていけることには、変わらずの快感がある。
日々を気持ち良く過ごすことができている。
仕事の生産性も上がっている。
でも、たまに、違和感が残る。
これまで50km/hでしか走れなかったけれど、
120km/hで走れるようになったぞ!
やった!褒められる!気持ち良い!
(でも僕がいなかったら300km/hで走れるんだよな…)
心の奥の奥、本当に良いのだろうか、と思う。
AIに情けをかけられてアウトプットの提出を躊躇われても、なぁ。