手前にある言葉を拾っていこう、な気分について

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ブログを始めてから、心を"描写"することに努めていた。
そして最近、心を描写をしようとしているときの自分は、そのとき自分の感じたことや考えたことから離れて見ようとしていることに気づいた。
それについてどう思ったか、そして新しく感じた気分についてまとめました。

例えば、パーティで楽しい思い出を過ごしたとする。
すると、僕は、そのときの心をなるべく詳細に書こうとするわけです。
どう楽しかったのかみたいなことを。
こうして、ピクセル単位で心というものを文字に映し取ってみようとしていましたと。

ただ、どう楽しかったかを考えている自分というのは、パーティにいたときの自分の心からなるべく離れようとみてますよね。
離れて見ることで、心の輪郭を捉え、中身を調べようとしています。

これって、楽しかった心に目を細めてジロジロ観察しようとしている感じで、そのときの自分は正直楽しくはないんですよね。
正確に言えば、パーティーのときに感じていた楽しさとは違うところで書くことを楽しんでいる。

ただ、僕は僕だから、デッサンするよりも簡単に、その心になりきることができるんですよ。

例えば、コップをデッサンするとします。
デッサンを極めようとするならば、外から見た感じを技術だけで丁寧に写しとるんじゃなくて、コップが感じている温度や湿度を、コップとして感じたくなるのかもしれない。
ただ、それって難しいじゃん。自分はコップじゃないから。

でも、僕は僕。
僕が楽しいと思っていた心は、比較的簡単に、そして再現度高く、もう一度自分の心に呼び戻すことができると思うのです。

そんな感じで、
・そのときの心を外から眺めるようなデッサン的な書き方と、
・そのときの心を再現し、思ったことを書くやり方。

後者の割合を少し増やして見たいと思った最近でございます。
なぜかと問われても、そういう気分なんです。

じゃあ、書きたい気持ちや思考について、自分をその内部に置きながら言葉にするとはどうすることなんだろうと。

それは、手前にある言葉を拾うことだと思ったんですよ。

宇宙を宇宙の外から見ようとするのではなく、
宇宙のなかから宇宙をみようとしているわけなので、
まずは手前にあるものから少しずつ手を伸ばしていくように言葉を見つけていく書き方なんだろうなと。

これは、「客観的に捉え切れていないから正確じゃない」、という話ではなく、「自分にしか書けない書き方だから何よりも正しい」という話なんだと思った。

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元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n4bd329df3fff
公開日: 2022-05-27 17:00