忙しいからって不完全な記事を出すってどうなの問題

貧乏ゆすりのすごい若者が1人文章のスペースを空けて左にいる。
そんな昼下がりの電車で書くこの文章。

この時間、電車に流れる時間はとても心地がいい。
穏やかな気分になる。

この若い男性は、何か急いでるのかな。
確かに急行とは思えないほど、電車に急かしてるような様子は見られない。
いや、逆に貧乏ゆすりをしてリラックスしているのかもしれない。
それか、音楽聴いててリズムを取ってるのかしら。

理由はなんでもいいが、電車の床に小刻みに動く陰はなんだか奇妙。

ちなみに、僕のスマホには覗き見防止のシートを貼ってるので、横からは画面が見にくいのでこの文章を見られる心配はない。

さて、今日は今日で忙しい。
忙しいから、記事は未完成だから、出すのはやめよう。
というのはどうなんでしょうか。

忙しくても記事を完成させろ、という努力マッチョな思考を今まではしがちだったけれど、最近は考え方も少し変わった。というのは、
・完成とは何か
・何を読む人に見せているのか/売っているのか
の2点を考えずして完成もクソもないから。

例えば、サウナに行った思い出を書こうと。
その記事がもっと深ぼれたけど、時間がなくてできなかったと。
じゃあそれは果たして未完なのか?という話だ。

毎日出す、見えてくる内容の量と深さで、どれだけそこにコミットしたかが見えてくる。
そこから読める人となりこそ、僕は伝えたかったのではないか、なんて思う最近。

まぁ、今は忙しい。
今思うことを常に書いておけば良いんだよ。
正しくても間違ってても、それが全部自分ですからね。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n2b9d2b8a6ab4
公開日: 2022-07-28 17:00