城崎温泉に向かう
目が覚めると、静かになっていた。神戸三宮を出発した高速バスは、歓楽街を抜け、車通りの少ない高速道路をひた走っている。
時刻は現在18:15。
今回の目的地、城崎温泉に着くのはおよそ21:00。
あと3時間近くもあるじゃないか。
もっとゆっくり寝ておけば良いのに、ものの数十分のうたた寝で、二度寝もできないほどの見事なスッキリ感を手にしてしまった。
出発時に賑わっていたシニア世代の方々の小旅行に馳せる浮き足だった声も、いまは聞こえない。
もしこれが夕方18:00の東京の高速道路だったら、車はビュンビュン走っているし、外の商業施設やら、タワーマンションやら、派手な広告ですごく明るいし、まるで街全体がtiktokかのごとく、僕らに休みなく情報を差し込んでくるだろう。
なのに今は、目を開けているのに閉じているようだ。
時間感覚が完全に深夜だと錯覚してしまうような、飲み込まれてしまいそうな暗闇のなかにいる。深夜という時間帯はすごく好きだけど、生活習慣を乱していることによる罪悪感がどうしても付きまとう。
でも、今日は違う。
「許された自由時間」がたっぷりある。
この環境に僕は異様な興奮を覚えていた。
それにしても、頭が冴えているのにいかんせんやることがない。
携帯を開いてみるが、すぐさま三半規管が悲鳴をあげてくる。
だから、僕は、「考える」ことにした。
何もできないんだから、頭のなかでやるしかない。
下記にまとめたものは、その考えたことの断片的な記録。
移動、全てにコストがかかる。
コストとは蛇口のことであるが、一個一個を絞めていくことだけを考えてはいけない。もしこの蛇口を閉めることで他の蛇口が暴発してしまうのなら、その蛇口は開けておかなければいけない。
例えば、健康に害が起きたら、また別の蛇口が生まれてしまう。
そうした意味では、かけるところにかける。
かけないところを徹底的に絞る。
そうした、ストイックなコスト意識があると、総的な支出を減らしていくことができるんだろうと思った。
例えば、食べ物にはこだわりたいとか。全体を見ることは非常に大事。
その人の部分を指摘してもしょうがない。
仕事でめちゃくちゃ真面目に真剣に取り組んでいる人が、家に帰ってダレる。ここで「ちょっと家事手伝ってよ」と注意するのはナンセンスだと思う。
この人は、仕事で存分に「真面目な自分」を演じてきて、疲れて帰ってきて今があるのだ。
人間として生きるための必要な維持管理で、人はそれぞれ自分なりのバランスを見つけて生きている。
その意味で、ポイントポイントを指摘するのは実に割にあっていないのだ。
凄腕の医者みたいなのが、足の出血を止めるために、上半身の一部分をギュッて抑える、みたいなのをみたことがあるし、整体で、膝を治すために腰や肩にアプローチするみたいなのもよくある話だ。
同じようにして、その人を動かそうと思ったら、その人の生活の全体の中で、その部分がどのような意義を持っているかを把握するところから、考えていかねばならないと思うのだ。