『RRR』...。feat.長濱ねる
『RRR』…。feat.長濱ねる
長濱ねるさんのエッセイは僕の人生を少し変えた。
まず、オディロンルドンの絵に対する見方を変えてくれた。この点は、以前書いたnoteにもまとめてある。この1点においてのみフィーチャーしても、僕はこの本を読んだ価値があったと思っている。
ネッセイ(勝手に考案した”長濱ねるさんの書いたエッセイ”の略称)が変えたものはそれだけじゃない。そう、僕に映画『RRR』を見るきっかけをくれた。
おそらく、世間的には「え、今?」というような感覚でしょう。日本での公開が始まったのは去年秋。メインの上映期間はとうに過ぎており、タイミングとしては明らかに”遅過ぎる”。しかし、当時タイムリーなうちに見た人たちが「もう一度見たいよね」とリバイバルが起こる時期になるにはまだ”早過ぎる”。あまりにもタイミングとして中途半端だ。
まぁ、少し引いて見てみれば、このタイミングの悪さこそが僕の主張(=ネッセイがあったからRRRを見た)をより引き立てているような気もする。
というわけで、ネッセイ、絶賛発売中です。
https://note.com/reitsuzuki/n/n7b7ba664cd34
さて、『RRR』について少しだけ話したい。
正直に言おう。よくわからなかった。”わからなかった”、というのは、例えば『涼宮ハルヒ(現在視聴中)の憂鬱』でいうところの、時間軸だったり複数の世界線を整理するのに難航した、というような意味ではない。シンプルにわからなかった。
もちろん、これは僕が全て悪い。僕が悪いと思っているから、この文章が書けている。以降では、具体的に何がわかりにくかったのか、印象に残っている幾つかのシーンを紹介したい。
物語は、男たちが殺した鹿を担いで村に帰ってくるシーンから始まる。もう既にこのシーンでわからないことがいくつかあった。この帰ってきた男たちのなかには、本作のメイン悪役である「イギリス人のおじさん」がいた。
悪役であるはずの彼ですが、鹿肉をこの村に恵んだメンバーの一人であって、やってることは良いことのように思える。確かに葉巻を加えて、”悪者感”の演出に努めているものの、別に鹿肉を横取りするでもあるまいし、やってる行為自体悪いこととはあまり思わない。
ここで僕はこの悪役について、いわゆるハリーポッターのスネイプ的な悪役像=「善と悪が織り混ざった不安定な人間像」を構築したい意図があるなら理解できた。しかし、そうではないのは、その先の展開を見れば明らか。ではなぜ、最初は鹿の狩りから帰ってくるシーンで始めるのだろう。そもそも、あのシーンがなぜ必要だったのだろう。僕はわからない。
そして、おじさん一味は、その村の少女をコイン2枚ほどで購入し車で帰ることになる。「え、馬は?」。このおじさん、鹿狩りから帰ってくるとき、馬に乗って帰ってきたんですよ。その馬も鹿と一緒に置いてきたということか。そう思えば、そもそもなぜ、おじさんはこの村にわざわざ来たのだ?たまたま絵の上手い小娘がいたからさらった、みたいなことだけを伝えたい描写ならば他にも方法あったのではないか。なぜ、あぁいう形にしないといけなかったのか、僕にはわからない。
思い出した。少し遡るが、小娘がさらわれるとき、その村のある男の人が「やっちまった!」みたいなことを言うけれど、あれは主人公の羊飼いとは違う人で、”実際に少女を助けるために行動していない”人間なんですよね?そうなると、あの人は誰なの?そのセリフを言うためだけの役だったってこと?あの人、それ以来見かけてないけど。町人Aのエキストラにしては随分重要なセリフを当てがったなと思う。言うだけで助けない人間がいるのもまたこの村なのだ、みたいなことでしょうか。その辺りがよくわからない。
このペースで行くとちょっと書き終わらないし、思い出せない部分も多いのでまとめた言い方するけど、少女が拐われたときに村にいた男の人がなんで警察官をやってるの?みたいな変な勘違いをしてしまった。見慣れるまで、男の人が全員同じ顔に見えた。
それと、警察官の主人公が、一人の人間の逮捕のために頑張るんだけれど、その後くらいのシーンで「羊飼いは約束を守る」みたいなことが明らかになるんですよね。2つのシーンがほぼ連続しているから、「あぁ、じゃあ、さっきの警察官が一人の逮捕にあんなに一生懸命になっていたのは言われたことを必ず守るからか」なんて、その人がさも「羊飼い」であると理解をしてしまった。しかし、本当は、頑張っていたのは出世するためであって、かつ、その警察官は「羊飼い」ではなく、また別の部族の人間だった。そりゃそうだろう、警察官は羊飼いを押さえる側の人間なのだから。ただ、最初見ていたときは、羊飼いが警察側として加入して、少女を助けに行くのかな、とかそんなことまで考えてしまっていた。
そしてなんと、羊飼いの主人公が、「綺麗で優しそう」という理由だけで、敵国であるイギリスの女の人をあっさりと好きになってしまうのだ。なんで?
別に、僕は決して「国籍で人を選べ」みたいな政治的主張をしたいわけではないけどさ。例えば、ウクライナの男の人は、ロシアの政府中枢の女の人に対して、基本的には嫌悪を示すだろうと想定するのはそこまで不自然ではないと思う。いや、むしろ僕はそれが「普通」だとみんなで共有されていると考えていた。だからこそ、主人公がイギリス人の美女を好きになってしまったことを一つの”事件”として受け止めるべきなのかどうか迷った。要は、予定調和を”裏切った”展開と見て良いものなのかどうか、ということだ。ただ、そうなるとそこが映画における大きなキーメッセージの一つになることは必至である。しかし、そうはならなかった。だから、わからない。別に、あの人を好きにならなくたって、建物のなかには入るシナリオは書けただろう。「羊飼いは必ず少女を連れ戻す」ってフってるわけだし。
そして終盤。肩車して戦いやすいわけない。ここで「そんなわけないやん」と突っ込みたくなるのだが、あれはあれで感動してしまい、説明しづらい感情に襲われた。たとえば、少林サッカーであれば分かりやすく「笑ってほしい」という意図が伝わってくる感じがするが、RRRのあのシーンでは笑わせようとはしてない感じがするというか。すごくモヤモヤした。
元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n91da0cc24f35 公開日: 2023-09-22 18:00
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