iHerbとiPhone
先日、iHerbから荷物が届いたときのこと。
「iHerb」と段ボールに書かれたその文字をみて、どことなくiPhoneに字面が似てるなと思った。
というか、なんでいま、そんなことを思ったんだろう。
そうか、最近iPhone17に変えたばかりだっか。
少しだけ赤面する。
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12 proを3-4年使い倒し、満に満に満を持して、最近、iPhone最新モデルに新調した。
僕にとってのこの”事件”がなければ、きっとiHerbの文字を見てもなんとも思わなかっただろう。
世界は常に自分の写し鏡。
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最近、「ゆきてかへらぬ」という映画を見た。
あの『汚れちまつた悲しみに』でおなじみの中原中也の短い半生を描いた作品で、物語の展開は中原中也と、小林秀雄(評論家)と長谷川泰子(女優の卵)の間で実際にあった(らしい)三角関係を軸に進んでいく。
関係ないが、僕は評論家という仕事を尊敬している。
少し前はマスメディアと並べるほどには嫌っていたが、自分にはできない仕事だと気づいてから、できないことを嫌ってもしょうがないなと思い改めて、今では尊敬までしている。まぁ、宇野常寛さんはじめ、もともと尊敬していた人もいたのだけれど。
まず評論家という仕事は、すこぶる頭が良くないと務まらない仕事だと思う。(だから僕にはできないと思っている)
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『ゆきてかへらぬ』、僕はとても面白かった。
なぜ面白かったか?と聞かれたら、僕は小林秀雄の「シベリア流刑」のところだ、と答える。
少し説明すると、当時、長谷川泰子は、中原と小林2人の男の間を行ったり来たりするように付き合っていた。
中原と小林には、それぞれ男として異なる「メリデメ」があった。
長谷川は片方に嫌気がさすと、もう一方に行くのを繰り返していたのだ。
一方で、「シベリア流刑」とは、シベリアに流された罪人たちが受ける罰のことで、その内容が、2つの水桶の間で、バケツで一方に汲みかえて、終わったら、もう一方に汲みかえるのを繰り返させるというもの。
小林は自分たちを水桶に例えたのだ。
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行き場のない地獄の往復。
僕はiPhoneのごとく、なにかハッとさせられるものがあった。
「とにかくこの世は生きにくい」と夏目漱石が言ったときの気持ちにさせられるような、世界の1つの真実を浮き彫りにしているようだ。
水の汲みかえかぁ。”ある”も、”ない”も地獄。”いる”も、”いない”も地獄。
そんなこんなで、僕は「小林の一言が面白かった、だからこの映画は素晴らしい」と人に映画を薦めることはできない。あくまでも、僕が面白いと思っただけだからだ。
なんで僕は水桶の例えにハッとしたんだろうか。