カレーうどんは”白シャツ”で食え。

ファッションデザイナーの石川俊介さんが好きだ。石川さんはファッションデザイナーとしては異常なまでの「素材」愛に溢れた方。

僕は良い服を**「上質な天然素材、高い縫製技術、普遍的なデザイン」**と定義しており、その点で、彼の素材愛溢れるinstagramの投稿が、僕の琴線をいつも震わす。そんな石川さんが最近、Yotuubeチャンネルを始めた。

https://www.youtube.com/channel/UCOxDy_5spY9R7MzY5tyuIHg

やはり動画となると、その人の微細な仕草や言動から、普段の静止画と完璧なキャプションでは伝わりきらない石川さんの思想が垣間見れたような気がした。

例えば、この動画↓。「カレーうどんは”白シャツ”で食え」。

https://youtu.be/xU6ovk-9koI?si=mMYPe4d_Z-wLVqyw

もしかすると一見、タイトルはサムネ映えだけを狙った「見せかけの銃」に見えるかもしれない。完全に否、この銃は紛れもなく本物である。

要するに、「”白”はいかようにも洗えるから」というお話だった。

銃の見せ方と、そこに込めている弾丸と、この辺りのバランス感覚が非常に素晴らしく、グッと引き込まれるように見入ってしまい、気づけば信頼を寄せてしまうような内容だった。

確かに、例えば色物や柄物のお洋服だと、洗い方によっては脱色してしまい、本来の美しさが損なわれてしまう反面、白であれば、最悪ハイターのようなもので漂白したって良い(、と石川さん)。

なるほど、ホテルのリネン類が漏れなく白色なのは、よく「清潔感のアピール」とか言われたりするが、もしかしたら先に述べたような理由で「洗いやすさ」も考慮されての判断でもあったのかもしれない。

・・・

僕が深い腹落ちをしたということ、それは、石川さんの論理の根幹にある「逆転の発想」が一理を得たということだ。

窮鼠猫を噛むじゃないが、まるで際どいG難度の技を見せられたような気がした。そして、この動画から石川さんにある種の憧れすら抱いてしまった。

気づけば、この発想を何か自分の生活に転用できないか、探していた。

そして、行き着いたのが僕のルーチンワーク、noteであった。

以下の記事にも載っているが、僕は「にわかが語るな」という強烈な思想の持ち主である(あった)。自分に語れることなんてせいぜい自分のことぐらいだろうと。だからこそ、僕は「自撮り展」と題して、こんなことをやっているのだけど。

ただ、どういう訳か、「にわかのくせに」なんて、他人に対して思ったことはないし、僕のポリシーが本当にまかり通ってしまう世界=全員が口をつぐまなくてはいけない世界というのも、なんか変だなとは思う。
要は、自分のなかで大きな矛盾を抱えているわけだ。この散らかっていて汚らしい僕の思想をアップデートできるかもしれない。

そこで、「他の人のことや他の対象について”敢えて”語ってみることに何か意味を見出すことはできるのか?」という点について考えてみた。

すると、こんな結論に行き着いた。

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前提として、誰かについて語ること、何かについて語ることは非常に難しい。

だからこそ、対象について書くプレッシャーを自らに課すことで、その対象を本気で向き合うきっかけになるのでは?、というものだ。

裏を返すと、**自分のことだけを書いているうちは、他の対象と向き合うことを「怠けている」**とさえ言えるのかもしれない。

例えば、RRRについて語ると決めたら、きっと僕は、一旦は何十回と見返さなければならなくなるが、今の僕はそんなことをしていない。では、果たして今の自分は本当にRRRを見たのか?と自問すると、尻込みしてしまう自分がいるのは確かだ。

ずっと嫌がってきたし、なかなか大変なことだけど、”何か”と本気で向き合って、その結果をアウトプットしてみるのも悪くないんだなと思った。

noteを書きながら、僕はこうして変わっていく。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n031c404d136f
公開日: 2023-10-05 18:00