なぜ人の輪を広げるべきか

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AさんがBさんを嫌っているとき、
Aが言ったその嫌いな部分への関心が必ずAのなかにあると気づく。

例えばAさんがBさんの浮気に怒髪しまくってるとする。
このとき、Aが必ず浮気をしてるか?という話ではなくて、
Aのなかでその点に関する普段の意識があるということ。
「良くない」とか「気をつけないと」とか。

きっと"浮気"への意識が自分に近しいところにあるのです。
マダガスカルだけに住む僕らが名前すら知らないような動物のことをすごく気にかけてる人だっているだろうしさ。
意識には近いものと遠いものがあって、"浮気"はきっと自分に近しいところに意識があったのです。

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興味がないこと/知らないことは嫌いになれない

興味関心がないこと、知らないことは嫌いになれません。

じゃあかつてクラファンを知らずに嫌った人はどう説明がつくか。
「お金を集める方法」的なので、
過去のあんなニュースこんなニュース、あるいは学校の授業でダメなものとして教えられていた、だから、それを遠ざけなければいけないという意識が元々あったということかと思う。
あとは、学歴社会の感覚があったまま、「金融系の学部を出てない人間のお金の話は聞けない」みたいな意識があったのかもしれません。

ただ、これは人間の性質なんだと思う。
すなわち、長い歴史を通して培ってきた「現状の最適解」ということ。
だから、評価は良いとも言えないかもしれないし、悪いとは確実に言えない。

人は物事を瞬時に判断できるから生活できる点もたしかにあるからです。
全部をいちいち大脳で考えているわけではありませんからね。
だから、進めの色を青にして、止まれの色を赤にするのです。
多くの人が持っているであろうセンサーに頼ったUI/UX設計ですよね。

人は自分の写し鏡

つまり、何かを嫌い/避けたいと思ったとき、
自分の近くにそのセンサー、意識があるということになる。
つまり、自分の近くにある"意識"を他人に投影できるということ。

これは「好きだなぁ」と思ったことも然り。
例えば、身長が高い人が好きな女の人。
彼女は身長高いことへの憧れ、あるいは身長というものに対する意識が人より近いところにあると思うのです。

だって、僕174cmくらいですけど、まぁ低いとは自分ではあまり思わないし、高いとも思わない。
だから、身長への意識はあんまり無いのです。その分、僕は肌が非常に弱い体質なので、そこへの意識は人一倍強いのかもしれない。

脱毛した男が、急に友達のすね毛に「ゲッ...」って思うような感じ。

つまり、見るもの聞いたもの感じたものは、
全て自分のなかにある意識を表象化したものとも取れるのです。
自分にないものは見ていないし聞いていないし感じてもいないのです。

人は自分の写し鏡という言葉があるけれど、
やっぱりそうなんだなと思います。
自分を知るためにも、人の輪を広げておくことは大切なのです。

類は友を呼ぶ、のではなくて、友が類を教えてくれるのだと気づいた昨今。

その点、俺チーズ大っ嫌い。
ってことは、チーズが色んな自分を教えてくれるということ?

人間はもっと似ていると思う

本当は、人間はもっと似ていると思うんですよね。
というか、似てきたのかな。

自分の良いところ、悪いところ、それは様々あると思う。

ひとが色んな自分を映してくれる。
人が多いとそれだけ自分を見ることができる。

人の輪は広げるべき。

https://open.spotify.com/album/06ymq9Pi6OEzgdoeRPfHzM?si=m_81xEi5SHuSVcEc-BTYOQ

2022/05/08、22:30。日曜の夜にチェットベイカーですよ。
とろけそう。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n9c5e5ab2bc29
公開日: 2022-05-11 17:00