[書くことがない人へ]それでも書くということ。

月曜から金曜まで、“ほぼ”欠かさず、18:00に文章をこちらnoteに投稿している。

https://note.com/reitsuzuki/m/m075d948690b9

かれこれ500弱の記事を投稿してきた。

元々文章を書く習慣は昔からあった。

そんな僕も大人になるにつれて、他人に読んでもらいながら書くことの重要性を知り、いくつかの媒体での投稿に手を出しては挫折して、を繰り返し、結局こちらのnoteに落ち着いた。

人に見せるようになった頃、「この習慣を最低でも50年は続ける。それがいつか価値になる」と友人の家で息巻いていたのを思い出す。

過去の自分、なぜ、あんなことを軽々と言ってのけてしまえたんだろう。

50年間、週5日書き続けると、合計の記事数は13,000本。

生涯で13,000本の記事を書くということが当時の僕は理解できていなかった。

ここで改めて、「500弱」という数字について確認してみると、そんなん、13,000のうちの、わずか4%にも満たない。

42kmのマラソンでいえば開始1.68km

45分アニメでいえば開始2分

まさに、始まったばかりだ。13,000本。本当に大変なことである。

正直、この記事を書く前に、500というある種の節目の数字に、僅かながらも多少噛み締めていた何かがあったはずだが、そんなもの一瞬で消え去った。13,000本。途方もない数字だ。

ただ、1日に投稿する本数を増やすことをしてまで達成したい数字ではない。

50年という時間の長さこそが最も重要なのだから。

時間が経てば家は壊れる。災害があれば家は壊れる。

地球上にホームなんてない。「ホーム」は自分のなかで持っておかねばならないのである。

その意味で、このnoteは、僕にとってホームである。

それは一本の木だ。

その場で、ただ呼吸をする。ただ生きること。

忠犬ハチ公は今も渋谷駅で待っているのだ。

その場にとどまることの強さに僕は強烈に惹かれているのだ。

これは決して、新しいことに挑戦するとか、色んなことを試して見ることを否定していない。

精神的支柱の話である。

木は成長する。風が吹けばしなるし、環境によってその形を柔軟に変えていく。

後戻りはできない。人間と一緒。

ここまでの話に、多少共感してくれるのであれば、書くことがなくても書くことの必然性のようなものが理解してくれるような気がする。

少しでも酸素が脳に回らなかったら、障害が起こってしまうように、1日足りとも、木も呼吸を忘れてはならないのだ。

そんな気持ちが根幹にある。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n95ff7144966e
公開日: 2024-01-22 18:00