人の涙に総量があったら。

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僕は泣かない。
これは「泣かないよう努めている」という話ではない。
「泣きたくても泣けない」というわけでもない。
僕の涙はいま、何者かに奪われているのかもしれない。

https://note.com/tsukasa_ichinose/m/m9427bf6d581d

もしまだ流せる涙が僕に残っているのなら、その水は恐らくどっかでぷかぷかと浮いていることでしょう。

そして、僕がまた涙を流すことがあったら。
それは何かの縁で、その水の塊と出会い、僕に触れ、僕の中に注水されたときでしょう。

僕のなかの泉の復活。
そのとき僕は「生き返った」と言っても良いかもしれない。

ということは、今は半分死んでいるようなもの?
このまま死ねるならそれはそれで良い。
とことん枯れてやろうと思います。
ジェントルマンの死に際の美学はかっこいいと思ってるタイプですし。

ただ、もしまた涙することがあったら、なんてことを考えていた。

そんなこんなで、一人一人涙を流す総量が決まっていたとしたら、みたいなことを思ったのです。
一人一人、総量は違うんだけれど、量は決まっていると。

そのとき、
無駄な涙は流すまいと生きるべきなのか、
流せるうちに、流れるままに、勢いよく使っていくべきなのか。
うん、若いうちに流せる涙は貴重なのかもしれないからね。

でも、70過ぎて枯れ果てた男がシワだらけの肌を潤すように流す涙もまた美しい。

僕は泣かない。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n712598dd94af
公開日: 2022-11-24 17:00