noteで嫌いな文章:これ良かったからお前も食ってみろよ、みたいな文章

この記事は、他人が書くnote記事のなかで、自分の好きなものを推薦する態度に対する著者の不快感を表しています。著者は、他人に何かを勧める時、「なぜそれを勧めたいのか」という理由を丁寧に説明すべきだと主張しています。単に「自分が良いと思ったから」という理由だけでは不十分で、自己中心的であると感じています。

著者はまた、言葉だけでは全てを伝えられないという事実を理解していますが、言葉を使って経験を伝える努力をすることの重要性を強調しています。例えば、スポーツや音楽のライブ体験は実際に経験しなければ理解できない部分があると認めつつ、それでも言葉を通じてその経験を可能な限り伝えることが重要だと述べています。これは、絵画をなるべく忠実に印刷して広めるようなものと例えられています。

最終的に、著者はnoteで書く以上、読者に対して情報を丁寧に伝える責任があると感じており、言葉を通じて経験を共有することの大切さを訴えています。

Chat GPT最近、他人のnoteを覗き見させてもらっている。

そこで、たまに文化系インキャ感が匂う人間が、「“これ良いぞ”」みたいな感じでものを勧めている文章を見て、ひどく嫌悪感を覚えました。

僕は、

「自分はこれをして心が動いた。だから、お前も体験しろ」

みたいな姿勢の文章が非常に嫌いなのです。もし、何かを誰かに紹介したい、もっと言うと具体的なアクションを相手に起こしてほしいのであれば、

「なぜ貴方にこれを勧めたいか」ということを丁寧に、伝わるように、書くべきだと思うから。なのに、「自分が良かったから」とだけ一言吐くだけなんて、そんな身勝手な理由づけあるでしょうか。

確かに、「実際に体験しないとわからないことがある」ということは理解できます。僕も、言葉だけで全てを説明できるとは思いません。

例えば、座学ばかりやっていたって、野球もサッカーも上手くならない。体験記ばかり読んでいても、実際に音楽ライブに行って音を浴びないとわからないことがある。食べログばっか眺めていたってわからないことがある。

それは承知の上で、
ただ、**「そもそも言葉ってそういうものでしょ」**と思うのです。

それを言ってしまっては言葉を諦めたのと同じで、ものを書く資格はその人には無いと思うのです。

実際に体験しないとわからないようなことを、実際に体験した身として、自分のなかでどんな心の動きがあったのかを観察し、巧みに言葉を操りながら、表現することこそが、言葉にするということです。

「体験」→「言葉」への100%のトレースができずとも、なるべく高い再現度でトレースすることで、時空を越えて情報を人に届けることができるのです。

これは、絵画をなるべく忠実な色で印刷して世界中の部屋に飾るようなもの。

noteでものを書く以上、そこを請け負う覚悟を持つべきです。
丁寧に言葉を届けることを忘れたくないなと思いました。


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n71c7a5fce8bb
公開日: 2024-01-12 18:00