僕ね、生まれ変わったら小栗旬になるの。

いよいよ、絵を描き出してしまった。

誰に言われたわけでもなく自分で始めたくせに、「なんで絵なんて描いてるんだろう」と思いながら、絵を描き始めてしまった。
描きながら考え、考えたことを描き、そうこうしているうちに、

「そもそも、僕が絵を描くことはなんの不思議もない、当たり前のことだったのかもしれない。」

なんていう結論に至ったので、そのことについてまとめておく。

https://note.com/reitsuzuki/m/m9427bf6d581d

(絵を描いてしまった自分の)一つの捉え方は「リバイバル現象」。
僕は、小さい頃から本を読むのと同じくらい絵を描くことや、レゴで何かを作るのが好きな少年でした。

ですから、最近本が好きというリバイバル現象をきっかけに、他の小さい頃好きだったこと=今回でいえば絵を描くことへの興味が沸いたのではないか、という捉え方です。

一方で、僕が推しているのは以下の説です。

僕ね、「やってもないくせにリサーチだけでつべこべ言うこと」が嫌いなんですよ。ざっくりいえば、報道とか批評家とか編集者みたいな、野次馬性癖で飯を食ってる生き方が嫌いなんですよ。

プライマリーじゃなくてセカンダリーの世界で生きてる人、というか。

この人たちの仕事を否定はしない、この人たちの協力が助けになるときもあるだろうから。とはいえ、正直言って拭えない嫌悪感は常にある。ちょっと熱が入ってしまった。

・・・

話を戻すと、そういう人間なわけですから、

本を読めば、文章を書いてみる

ビルエヴァンスを聞けば、ピアノを始めてみる

Netflixを見れば、チェスを始めてみる・ルービックキューブをやってみる

オディロンルドンの絵を買えば、絵を描いてみる

ウイスキーを知れば、実際に買って飲んでみる

これらは全て決まっていたことなんじゃないか、という理解です。

なるほどなるほど。

いやでもちょ待てよ。 #キムタク

自分がそういう人間(リサーチだけでつべこべいうことが嫌いな人間)だから絵を描くようになった、
だとしても、**ではなぜ、僕はそういうことが嫌いなのか?**という点について考えてみたくなった。

エルニーニョ現象は、どこどこの海水の気温が通常より上がるので、こんな風になる。だととしても、「じゃあなぜ、海水の気温が上がってしまうのか」と考えてみるようなものだ。
ちなみに、その理由はわかってないらしい。
羽鳥慎一モーニングショーで良純さんが言ってた。

一つ、思い出した話がある。

小栗旬さんが、蜷川実花さんに、なんかの番組で話してたこと。

「基本的に役者というのは経験したことを演じるべきだと思っていたが、それでは殺人者の役を演じるためには人を殺さないといけない。
だからこそ、演じるときには、体験だけでなく、想像で補うことも大事なんだと気づいた。」

それに対する蜷川実花さんの相槌。

「なるほどね、そのような時期になってきたのね。」

小栗さんの内面的な変化を、明らかにプラスの成長として評価しているような響きの相槌だった。

・・・

え、やっぱり僕、間違ってるのでしょうか。

これをきっかけに、この嫌悪感を背負った自分を客観視しようとしてみた。
すると、**「やってないのにつべこべ言うことを嫌悪する自分は、自身の生き方の可能性を大きく削ぎ落としてしまっているのかもしれない」**という気づきは得た。

鑑賞体験、食体験、などなど、
人はその全部を「やってる」側として話すことはできない。
だから、結局は「今やってること」の想像を使って、「やってないこと」を理解する必要があるのかもしれない、ということ。

そうしないと、僕は作ったことがない料理を食べて何も感想が言えない、みたいなことになってしまう。それはそれで、窮屈な世界を生きることになるのかもしれない、と。

ただ、そうは言っても、あの野次馬ムッツリ性癖を好きになれるか?と言われたら、まぁ難しいわな。
もしかしたら今は蛹(さなぎ)みたいな状態で、その殻が破れたとき、もう一歩成長した自分と出会えるのかもしれない。

今の自分はそれはそれで好きだったりするのだが、成虫になったら小栗旬になれるのかと思うと、それはそれで楽しみ極まりない。 #なれない


元記事URL: https://note.com/reitsuzuki/n/n9bd6c40e03d3
公開日: 2023-08-07 18:00